ロボットはすでにわたしたちの生活に欠かせないものとなっている。工場で人間の代わりに不眠不休で働くばかりでなく、エンターテインメントやホテル受付のようなサービス領域にもその活躍の場を広げつつある。マクドナルドの前CEOは「フライドポテトを袋に詰めるだけで時給15ドルも払わなくてはならない労働者を雇うより、3万5,000ドルのロボットアームを買う方が安い」と述べ、人件費の高騰は更なるロボットによる失業を招くと主張する。
このままロボットが更なる高性能化や複雑化して進化を続けていけば、いつか完全に人を置き換えるような、究極のヒューマノイドが実現するのだろうか。著者はこの問に「否」と答え、従来の産業用ロボットのような「硬い」ロボットの延長線上には、人間と同じように作業できるヒューマノイドは得られないと説く。
そして、ロボットが次なるステージへ進むためには、これまで考えられていた以上に「柔らかさ」が必要となるという。この柔らかさに焦点をあてる「ソフトロボティクス」は、ロボット研究の大きなトレンドになりつつある。ロボットの進化を考えるためのもう1つの重要な潮流は、ロボットをより人間化していく、「ヒューマノイドロボット」の分野である。
本書では、このソフトロボティクスとヒューマノイドという2つのキーワードを軸に、ロボットの過去、現在、そして未来が語られる。本書の議論は「ヒューマノイドとは何か」という基本的なところからスタートするので、この分野に馴染みがなくても問題なく読み進めることができ、その新たな可能性を見渡すことができる。また、ロボディクス研究者である著者自身の研究体験がその試行錯誤の過程も含めて描かれているので、未知の分野を切り拓く研究現場とはどのようなものか、わずかな手掛かりを頼りに前に進むためには何が必要なのか、よく理解できる構成となっている。
ロボットを人間と同じような形にすることには様々なメリットがある。その1つは、多様な環境への対応可能性。アフリカで生まれた人類が、あらゆる大陸のあらゆる場所に生息していることからも分かるように、悠久の進化の果てに得られた人間の身体は様々な環境に適応が可能である。また、ロボットが人間のような形であれば、それを遠隔操作するオペレーターは自身を動かすように自在にロボットを動かすことができるだろう(犬型や鳥型のロボットではそうはいかない)。そのようなロボットは、想定外の災害現場にも乗り込んでいくことができるだろうし、人型であることは介護や接客などの対人作業で大きく効果を発揮するはずだ。
ヒューマノイドロボットは、「人間を知るための科学的道具として」の役割も期待できる。つまり、ロボットをつくることは、人間の知能がどのような仕組みで実現されているかを知ることに繋がるのだ。例えば、砂漠アリがどのようにして巣穴から出て、餌を手に入れ、また巣に戻っているのかを解き明かすための研究でもロボットが重要な役割を果たしている。
砂漠アリは草木のような目印を活用することも、地面に残されたフェロモンを頼ることもできない(砂は風ですぐに吹き飛ばされる)が、太陽の偏光を感知するセンサーを備えていることが知られており、その偏光センサーをもとに移動していると考えられていた。そこで、チューリッヒ大学の研究者はこの砂漠アリを模した、ロボット「サハボット」を作成して、アリがどのような仕組みで移動を実現しているかを研究した。
サハボットには、車輪の回転量や偏光などを測るセンサーが搭載されていただけでなく、アリの脳内に見つかっている神経を真似た神経回路がプログラミングされていた。このロボットは何度やっても上手く移動できなかったのだが、神経回路のプログラミングに新たなニューロンの要素を加えると実際のアリと同じように移動することができた。その後アリを解剖研究すると、これまでは知られていなかったニューロンの存在が確かめられたのである。アリのロボットを作成することで未知のニューロンが発見されたように、ヒューマノイドの作成は、人間の知られざる知性を明らかにする可能性を秘めているのだ。
これまでのロボットの手先効果器(対象物に働きかけるための装置)はプラスチックや金属のように硬いものでできている一方、我々の身体は柔らかい材料でできている。この硬さの違いは、何かを掴んで持ち上げるという比較的単純と思われる動作においても、その機構に大きな違いをもたらす。硬いハンドでは対象物をつかむ前にその位置、形状を計測し、重さを推計できていなければ必要な出力を生み出すことができないように「観測」と「行動」が分割して統治されている。ところが柔らかいハンドであれば、先ずつかむという「行動」を起こすことでより精緻な「計測」が可能となり、より必要な「行動」の修正へと繋げることが可能となる。本書を読み進めるほどに、人間の柔らかさが驚くほど多様で重要な機能を果たしていることに驚くはずだ。
本書の最大の読みどころは、柔らかさとヒューマノイドの基礎的概念を踏まえたうえで展開される、ヒューマノイドの歩行研究に関する部分だろう。著者は、人間の歩行というあまりにも複雑な行為を、二次元というよりシンプルなものに限定することで研究の端緒とした。シンプルな条件で着実に成果を積み上げていきながら、対象の複雑度を徐々にあげていくと、新たな課題が次々と立ち現れる。低次元と高次元、線形と非線形、局所とシステム、それぞれの間に潜む謎には、科学の面白みが凝縮されている。これから徐々に現実のものとなっていくだろう柔らかいヒューマノイドが、より便利な機能だけでなく、より豊かな人間観をもたらしてくれることを期待したい。
人間の知能は脳だけにあるのではない。人間の身体に秘められた知能、環境との関係性を多様な角度から描き出す。レビューはこちら。
数理脳科学の分野を切り拓いてきた、世界的権威である著者による一冊。身体ではなく、脳を数学で描写すると何が見えてくるのか、ブルーバックスらしくしっかりたっぷり教えてくれる。
人体はどのような変遷を経て、現在のようなかたちになったのか。600万年の進化の歴史を壮大に描き出す。レビューはこちら。解説はこちら。