僕たちは、叙事詩をすっかり忘れてしまったのではないか。ギルガメシュ、イーリアス、シャー・ナーメなどに満ち溢れていたあの懐かしい英雄たちの雄叫びは消えて久しくなってしまった。ポーランド生まれのユダヤ人で、第二次世界大戦前のドイツで活躍した作家、デーブリーンは、本書、マナスで、叙事詩を見事に現代に甦らせた。端倪すべからざる力技である。
第一部、亡者が原。インド・ウダイプルの王子マナスは敵を打ち破り都に凱旋するが、戦場での恐るべき死の光景がマナスを苛む。「ウウィイー、ウウィイー 死者たちのところへ行きたい この世を去って かれらのところへ行きたい」と、苦痛を望み幽冥界への旅立ちに憑かれたマナスは大師プトと亡者が原へと向かう。マナスの腕はプトの腕と鎖で結ばれている。臍の緒のように。亡者が原は悲惨な亡霊たちの棲家だった。
ダヌとダクシャの悲しい恋、哀れな羊飼いの少年、この辺りは神曲を思い起こさせる。ダンテもウェルギリウスに導かれて地獄に向かい、パオロとフランチェスカに会ったのだった。シヴァ神配下の三悪鬼との闘争の末にマナスは死を迎える。
第二部、サーヴィトリー。マハーバーラタに出てくる貞女の名前だ。マナスの死を信じられない愛妻サーヴィトリーは、たった1人で夫を探す流浪の旅に出る。降りかかる艱難辛苦の数々もサーヴィトリーの意思を挫くことはできない。サーヴィトリーは亡者が原を抜けてカイラース山のシヴァ神に迎えられる。サーヴィトリーの愛がマナスを甦らせる。
第三部、マナスの帰還。巨人となったマナスは、大蝙蝠に変身した三悪鬼に飛び乗って人間の世界、ウダイプルに戻ってくる。そのマナスの前にシヴァ神が立ちはだかる。するとマナスは屈従の代りに無謀な戦いを挑むのだ。
シヴァ神の大蛇に絞殺されそうになったマナスは自己のなかへ向かい、内なる自己を通して世界に呼びかける。この敢然とした呼びかけは、サーヴィトリーによる愛の救済を知ることによって初めてなしえたことであった。この呼びかけにこたえて世界が、全自然が立ち上がってシヴァ神に向かいマナスは消滅を免れたのだ。この辺りは、映画のロード・オブ・ザ・リング「二つの塔」の木の鬚が怒りエントたち(全自然)を集めて悪鬼の拠点を滅ぼしたシーンを連想させる。
デーブリーンの言葉はとても力強いが、同時に乾いたユーモアに満ちている。その典型がマナスに付き纏う三悪鬼の描写だ。マナスは、インドが舞台になっているが、これはインドの物語ではない。
デーブリーンはマナスのテーマについて、「世界を整理し、古くからあるがらくたの山に風穴を開けることが必要だと宣言した」と記しているが、これは、最強の「無限の自然」の次に、「魂―人間の精神と意思」を置いた作者の人間賛歌の物語だと考える。不遇のうちに世を去ったデーブリーンだが、奇しくも短編集「たんぽぽ殺し」(河出書房新社)が同時期に刊行された。読み直す好機ではないか。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。