新しい環境保全の教科書『「奇跡の自然」の守りかた』

2016年5月13日 印刷向け表示
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「奇跡の自然」の守りかた: 三浦半島・小網代の谷から (ちくまプリマー新書)

作者:岸 由二、柳瀬 博一
出版社:筑摩書房
発売日:2016-05-09
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東京、品川駅から電車で1時間半、終点の三崎口駅から歩いて30分。小網代は、都心からおよそ60キロの三浦半島にある自然の楽園だ。コンクリートで固められていく首都圏にありながら自然がまるごと残っており、しかも、誰でも歩ける身近な場所として大人気だ。なぜそんな「奇跡」が起きているのだろう?

「奇跡の森」。首都圏でも可能な環境保全の好例として、そう評される小網代の森だが、そこに長年かかわってきたふたりが、本書の書き手だ。一般の人が気軽に入れるようになるまでの丁寧な保全の経緯と、実際に私たちが出かけた際の森の見所をまとめている。

そのふたりとは、進化生態学を長年研究されてきた岸由二さんと、普段は出版社で編集や広告業務に携わる柳瀬博一さんだ。岸さんの名前を初めて知ったのは、大ベストセラーとなった『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス著)の翻訳だったように思う。ほかにも『人間の本性について』(エドワード・O・ウィルソン著、ピュリッツァー賞受賞)の翻訳も手がけておられるが、どちらも、読んでおいて損はない話題の名著だ。

さかのぼること30余年、1980年代に、慶応大学日吉キャンパスで一般教養過程の生物学を教えていた岸さんの授業をとったのが、柳瀬さんだった。ちょうどその頃に、小網代を「奇跡の流域生態系」だと看破し、保全活動を始めようと決めたという岸さんが、学生の柳瀬さんにも声をかけて……という縁で、ふたりは30年以上、小網代に通っていくことになる。

ちなみに、現在、小網代の森は無料で、2014年からは誰でも入って散策する事ができる。地図も含めて詳細は本書にあるので、ぜひ携帯して出かけていただきたいが、品川駅から京急で1時間半、終点の三崎口駅で降りてから歩いて30分(バスもあり)なので、東京から出かけやすく、テレビでも紹介されて入場者数はうなぎ上りらしい。

出かけてみれば、森の中を通り抜ける木のボードの一本の道が森を貫く。そこをのんびり歩きつつ環境を観察できるので、非常に足下が楽だ。広さは、明治神宮と同じくらいで70ヘクタール、散策にはちょうど良い広さである。

森を貫くボードウォーク

岸さんたちの20年を超える運動が実って保全が決まったのは2005年。国土交通省の近郊緑地保全地域に指定された。その後、2010年に、神奈川県による大規模な土地買収が進み、森全体の保全運動が実現した。管理するのは神奈川県だ。岸さんは、公益財団神奈川トラストみどり財団の支援を受けて、日常的な環境の回復保全維持運動を進める、NPO法人小網代野外活動調整会議の代表となり、柳瀬さんは副代表のひとりとなった。

それでいて、いちばん大事なことだが、通勤圏にありながらも、生物が多様でとにかく豊か、その数2000種以上だという。これはほんとうにすごいことで、首都圏ではここだけという貴重なものだ。岸さんによれば、「流域が源流から海までまるごと自然のまま残されている」からなのだという。

「流域」ってなに? という人には岸さんの『流域地図の作り方』がお勧めだが、小網代の自然環境を回復させるときの基本にもなった考え方で、本書でも触れられている。
水蒸気が雨や雪になって、大地に降ると、地表を流れる水は、川を下り海に流れて、また水蒸気として雲になるという「水循環」を繰返す。この「水循環」の単位でもあり、山のてっぺんから海の河口まで、川が大地を削ってつくる葉っぱのような地形を「流域」というのだ。そして、この特徴をうまく取り入れて都市計画や環境保全を考えることが、「流域思考」となる。

東京近郊なら「利根川」「多摩川」「神田川」「目黒川」などなど、流域で考えると別の視点で地域が見えてくる。
たとえば、暴れ川として知られる「鶴見川」。水源は町田市で、通る地域を見て行くと(いずれも付近の駅・インター名)、鶴川(小田急線)、市ケ尾(田園都市線)、横浜青葉インター(東名高速)、港北インター(第三京浜)、中山(横浜線)、綱島(東横線)、鶴見(鶴見線、京浜東北線)、首都高横羽線、大黒ふ頭、そして東京湾へ、という具合で、見えなかった別のつながりが出て来ないだろうか。それぞれの土地を「流域」単位で見るとおもしろいのだ。
都心からつなぐ路線単位で分断して考えがちな東京近郊だが、災害時にはこの流域思考が必要になりそうだ。

と脱線したが、小網代には、首都圏で唯一、この「流域生態系」が水循環の基本構造そのままに、緑に覆われて残っているのである。そして、小網代なら、数時間のんびりと散歩するだけで、ひとつの流域生態系を観察できるのだ。

森全体をのぞむ

そんな「奇跡」には深い理由がある。ほかの地域では失われた「自然」がなぜ残ったのかといえば、そこには偶然に継ぐ偶然があった。
まず、人が住んでおらず、棚田として長く使われていたことだ。また、斜面の林は薪炭に使われていた。これが案外と重要なことで、縄文時代以来1960年代まで、手入れのされた林と田んぼだったがために、現在の自然の林と湿原が生まれた。
だが、1960年代になって木材を燃料としなくなり、米を自由に買えるようになると、地元の人からは用済みとなり、1980年代まで放置される。途中に降ってわいたのがリゾート開発の話だ。近隣には逗子マリーナ、葉山マリーナ、油壺マリーナ、それに伴う大型マンションがずらり並ぶのだから当たり前だろう。とはいうものの、これが結果的には、周囲で起こった宅地開発の波から小網代を守ることになるからわからぬものだ。

1985年にゴルフ場計画を含む周辺一帯の大規模開発の話が持ち上がるが、その計画を好機として、その計画に反対をせず、計画内容の変更提案をつきつめることで、ゴルフ場とリゾート施設になるはずの小網代流域を、まるごと自然保全地とする開発計画に変えてしまったのである。自然保護というと、プラカードを持ってデモ行進、というイメージだが、開発しようとする企業や自治体と共存していく方針で、対話の場を絶やさないことで、逆にうまくいったのだ。

森のアイドル、アカテガニ

サイエンスからのアプローチに加えて、関係者たちが対話をしながら進めていく、そんなビジネスの側面があったからこそ守られた「奇跡の森」。この「奇跡」への詳しい経過はお読みいただくとして、森を歩いてみることをぜひお勧めしたい。

なにしろ数千もの蛍が見られるのは、2016年は5月28日〜6月12日までとのこと。ぜひ出かけてみたい。

<写真提供:柳瀬 博一>

利己的な遺伝子 <増補新装版>” title=”利己的な遺伝子 <増補新装版>“></a></p>
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作者:リチャード・ドーキンス 翻訳:日高 敏隆
出版社:紀伊國屋書店
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人間の本性について (ちくま学芸文庫)

作者:エドワード・O ウィルソン 翻訳:岸 由二
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「流域地図」の作り方: 川から地球を考える (ちくまプリマー新書)

作者:岸 由二
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