2006年、東京国立博物館で開催されたプライスコレクションにて、初めて本物の紫陽花双鶏図を見たとき、全身に稲妻が走るような衝撃を受けた。尾長鶏はあまりに繊細かつ優美に描かれ、その崇高な姿はまるで鳳凰のようであり、口を開けて見入ってしまったのを覚えている。
本書は若冲の生誕300周年を記念し、初めての人にでも楽しく鑑賞できるポイントを紹介したフルカラー入門書だ。現在、東京都美術館で生誕300年記念の若冲展が開催(4月22日~5月24日)されているが、早くも入場者10万人を突破したらしい。益々知っておくべきアーティストの一人であるのは間違いない。
江戸中期の画家・伊藤若冲は京都の富裕な青物問屋に生まれ、23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭する。35歳の時、相国寺にて僧・大典顕常(1719年—1801年)に出会う。若冲という名を得て『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成させた。人知れず隠れて寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き、技を駆使し革新的技法、創造的芸術を探求した。
若冲は庭に何十羽もの美しい鶏を飼い、観察と写生を繰り返していた。パターン化された雄鶏の羽根は、植物や花柄をデザインしたイスラム美術のアラベスク文様をも彷彿させる。写実のリアリズムとデザインが絡み合い、現実と虚構が入り混じる。若冲はレオナルド・ダ・ヴィンチと同様、徹底的に描く対象を観察したが、それは鶏を正確に写生する客観性の美ではなく、自分の目に映った主観的な姿ではないか。対象は鶏だが、若冲はそこから先に見える、生命の美しさを描いたのではないだろうか。
浄土宗信行寺(京都市)にある非公開特別文化財の天井絵『花卉図』。85年の人生、最晩年を飾る伊藤若冲167枚の天井画だ。牡丹や梅、菊などありとあらゆる草花が描かれている。美術史家、辻惟雄が若冲の人生と照らし合せて解説している。この天井画の特集は他の若冲関連本にはなく、本書だけの独占企画である。信行寺はいわゆる観光の寺ではなく、多くの檀家によって成り立っていた寺のため、一般公開は考えたことはなかったというが、それが功を奏し保存状態が良く続いていた。2015年に公開されたが、半日以上眺める女性もいたという。
本書の特徴は、見るべきポイントを端的に解説しているコーナーが随所にある点だ。この果蔬涅槃図という野菜の絵はユニークな作品だが、トウモロコシを沙羅双樹に見立てていたり、ダイコンに仏教思想を反映させたりと、なるほど、と何度も膝を打つ。見どころが満載で、かつ文体も簡潔でリズミカル。小気味よくページが進むので、絵に精通していない入門者でも見るポイントが分かりやすく親切だ。
後半には若冲の生涯年表や、若冲の京都をめぐる全23美術館・寺社ガイドも掲載されている。「ちょっと美術史」では、同世代に生きた円山応挙や曽我蕭白など他の京都で活躍した画家の解説もあり、町人文化の成熟が育んだ京都画壇のルネサンスの要点が学べる。それにしても俵谷宗達や本阿弥光悦も京都で活躍した。いったい京都には天才クリエイターが何人いたのだろう。
若冲を扱った本や雑誌は数多く出ているのが、専門的なものが多い中、本書はポイントが絞られた良質の編集であり、さながら若冲展に来ているかのようだ。若冲の生涯に迫りながら、ゆかりの土地である寺の理解も進むため、展覧会に行く前に読めば、より若冲の世界が楽しめるだろう。若冲の胸中を知りたい入門書としては最適な一冊。
※画像提供:朝日新聞出版
生誕300周年 若冲展 東京都美術館 4月22日~5月24日
http://jakuchu2016.jp/
生若冲を見たことが無い人はすぐに予定を組もう。ただ来場者数10万人を超える若冲展の最終日に行くのは、静謐な時間をわざわざ放棄することになる。おススメは平日、皆が食事をとる12:00~13:00の昼の時間帯、天候は小雨。