国際標準語として不動の地位を確立した英語。メインの言語として話す「母語話者」がいない会話でも使われるほど、その影響力は大きい。だが元を辿れば、英語にも北ヨーロッパの片田舎で使われる言語に過ぎなかった時代がある。
オランダやドイツの一部地域で使われる、フリジア語という言語があるそうだ。現在の話者は約50万人で、そのほとんどがオランダ語あるいはドイツ語との二言語併用者である。実は、フリジア語と英語それぞれの元になった言語は、隣り合う地域で使われる方言同士だった。英語史を勉強すると、英語と最も系統の近い言語としてフリジア語の名が出されるという。
地理的にも言語的にも事実上同じところから出発したと言っていいような言語が、片や世界的な存在に、片や母語話者もほとんどいない状態になっている。英語発展のプロセスは、「どこの馬の骨とも分からない」言語が、苦難の道を乗り越え、ついには比類ない地位を築くサクセスストーリーだと著者は語る。本書はその壮大な物語を辿る一冊だ。
英語の歴史は1500年以上にも及ぶ。5世紀にアングロ・サクソン人たちによってイングランドにもたらされた英語は、イングランド全域に定着するだけでも1000年以上の歳月を要している。イギリス諸島を離れて本格的に海外進出を始めたのは17世紀初頭になってからのことだ。
英国史上に残る様々な出来事は、英語の伝播においてもターニングポイントとなった。1066年のノルマン征服を境にアングロ・サクソン人による支配が終わりを告げ、フランス出身の王たちがイングランドを支配するようになる。フランス語およびラテン語が公的な言語となり、標準語として徐々に発達しつつあった英語は、一転して庶民の使う日常語という地位に甘んじることになった。
しかし英仏百年戦争(1337~1453)によって、フランス語への敵意と、英語が自国語であるという意識が芽生えてくる。そして16世紀頃になると宗教改革が起こり、格調高いが専門家しか理解できないラテン語の書物よりも、多少拙くとも誰にでもわかる土着語による書物が重んじられ始めた。さらに印刷技術の普及も相まって英語の「社会進出」は加速していく。
そんな個々のプロセスから、さらに一歩視点を下げて大きな流れを見ていくと、他の言語から取り入れられた「借用語」が英語発展の鍵になっていることがわかる。著者曰く、「本来語の基礎の上に、計り知れなく分厚い借用語の層が覆いかぶさっているのが、英語語彙」なのだそうだ。
1500年前後の時期に外国語で書かれた作品の英訳版の序文には、訳語が野卑で雄弁さに欠けることを訳者自身が卑下するような記述が見られることがあるという。英語で洗練された文章を書こうとすると、語彙不足のために満足な表現ができないことが度々あったのである。表現力不足を解消する1つの方法として作家や翻訳家たちが行っていたのが、外国語から語彙を借用することだった。
横書き構成の本書は、国別にたくさんの借用語が紹介されている。フランスからの借用語は政治や宗教、軍事、ファッション、食文化、学問などに関するものが多い。ギリシア語は専門的で高度な語が多く、ラテン語は借用の時期によって傾向が全く異なる。至るところで、おなじみの単語の意外なルーツに出くわすだろう。語彙の乏しさによる劣等感をバネに、英語が他の言語を巻き込みながらうねるように広まっていた様子が伝わってくる。
英国史の視点だけではなく、植民地の歴史の視点から英語の世界進出についても書かれる。北米大陸からオセアニア、アフリカ、南アジアなど、それぞれの地域において英語がどのように流入したのか。土着の言語といかに混ざり合い、どのような使われ方をしているのか。場所ごとに異なる事情を、全体の半分を超えるページ数でひとつひとつ解説していく。
読みながらくり返し感じるのは、言語が広まる過程は人の移動・交流の歴史と分かちがたく結びついているということだ。まして英語ともなれば、その発展の仕方は、異なる出自の人々が出会い、世界が統合されていくプロセスそのものである。
そう考えると、「スキル」や「ツール」といった話とは別の角度から英語に興味が湧いてくる。実用的な目的では惹かれない人にこそオススメしたい英語本だ。