都市は人を惹きつける。整備されたインフラがもたらす快適な生活、次々にもたらされる新たな出会い、世界に解き放たれる前の情報など、都市にはヒト・モノ・カネ・情報の全てが潤沢に存在しているのだから、都市への集中は当然の成り行きとも思える。事実、1950年に30%だった都市化人口率は現在50%にまで増加しおり、国連の予測では2050年には70%近くにまで及ぶという。もちろん、都市にはメリットだけでなく、希薄な人間関係や経済格差などのデメリットも存在するのだが、都市化の流れは強力なものだ。
このように「陰」と「陽」の面を併せ持つ都市は、どのように誕生したのか。本書では、世界最古の都市が誕生した約5300年前の西アジアに焦点を当てることでこの問いに答えを出していく。考古学的手法で世界最古の都市を分析することで、その誕生過程を「流れ」として捉えられ、現代を生きる我々が当然のものとして受け入れている「都市」「国家」「権力」の本質がより深く見えてくる。本書の考察を通して、都市の誕生にはどのような要素が必要だったのか、都市は人々の生活をどう変えたのか、古代日本でなぜ都市が誕生しなかったのかなどが明らかにされていく。
著者は考古学的に検証可能な都市の必要十分条件として、「都市計画」「行政機構」「祭祀施設」を提案する。都市計画は城壁や目抜き通りなどのハード面、行政機構は市場や絵文字的な記号などのソフト面、祭祀施設は守護神を祀る神殿などの精神面に結びつけることができる。これら3つの条件全てを満たせば都市、一部を満たせば都市的集落、ほとんどないものが一般集落となる。世界最古の都市であるとされることの多いパレスティナのエリコには、街路や神殿が整備されていたかは不明であり絵文字の証拠も全くないため、都市とは認定されない。著者は、『旧約聖書』に登場するエリコが過大評価されてきたのは、ヨーロッパ研究者が聖書のエピソードに引っ張られていたためではないかと推測する。
多くの考古学者が世界最古の都市と考えているのは、イラクのウルク遺跡とシリアのハブーバ・カビーラ南遺跡だ。7000年前頃から南メソポタミア南部のシュメール地方で都市化がスタートし、約5300年前にウルクが誕生した。世界初の都市が西アジアで成立した理由を知るためには、先ずこの地の自然環境を知る必要がある。西アジアには死海地溝帯、ヨルダン川流域、メソポタミア平原などのように、低湿地・丘陵地・山麓地という多層的な地理的環境が広がっていた。多様な地形は野生種の栽培、ヤギ・ヒツジの家畜化、土器の発明などの多様な生活様式を発展させ、ユーフラテス・ティグリス両大河に広がる沖積低地での都市誕生へとつながっていくのである。
都市化が始まったころの人々は、一夫一婦制を基本とした平等主義の社会を生きていたという。当時の家庭が一夫一婦制の核家族を基本としていたことは、墓に埋葬されている遺体の組み合わせや、住居設備の分析から確かめられている。また、共同墓地のどれもが画一的であり、副葬品から社会的格差を見出すことはできない。余剰食物を保存していた倉庫に鍵がなかったことも、資産の管理人の不在を示しており、当時の社会の平等性の現れと考えられている。さらに、この時代には神殿も存在しており祭祀集団がいたものの、それは専門職としての神官ではなくパートタイム的な役割として担われていた。都市化の前半は、祭祀儀礼が人々を緩くまとめる求心力として働いていながら、社会的格差や階層化が未熟な段階にあった。
都市化が始まったころ、地球規模の温暖化が西アジアの気候を大きく変えた。約6000年前のペルシア湾の海水面は現在より2メートルも高く、5500年前の海岸線は200キロメートルも内陸に及んでいた。このペルシア湾の海進はメソポタミア低地の耕作地を持続不可能なものとし、多くの人々の移動を促した。この移住者達が「よそ者」として、余剰食糧をふんだんに生産する能力をもった都市的集落にやってきたことが、都市化を次なる段階へ進めることとなる。
「よそ者」の訪れは、多くの変化を伴っていた。劇的に増加した人口の需要を満たすために、さまざまな製品を専門的に大量生産する専業工人が誕生した。さらに、倉庫には鍵がかけられるようになり、その開け閉めに必要となる判子は祭司に預けられた。異なる価値観や技能を持った「よそ者」は、新たな技術や交易の機会だけでなく、社会の階層化をもたらし、都市化を加速させていく。同時代の日本は同じように温暖化による人口増加を経験しながら、都市化は進展しなかった。これは、利用可能な居住地域が豊富にあったため、「よそ者」が生まれることがなかったからではないかと著者は述べている。つまり、西アジアでは「上へ」と重層的に積み重なった居住面が、日本では「横へ」広がっていったということだ。
本書では当時の人々の生活が他にも多くの視点から描写されている。これからの研究でより多くのことが明らかになることを期待したいが、イラクやシリアの情勢不安から、研究再開の目処が経っていない場合も多いという。著者は以下の様な願いで本書を締めくくっている。
調和と共存の足跡が、西アジアの地に残っていることに気づいてほしい。古代の人々は知恵を絞り、工夫を凝らして、少しでも快適な空間を構築していった。対立と競合を風土とする西アジアで、いかにして価値観のぶつかり合いを和らげて、共に暮らす道を歩いてきたのか。手掛かりはすぐそこに埋もれている。
この手掛かりが二度と手に入らなくなってしまう前に、著者の思いが現実のものとなることを願ってやまない。