世界初の人工雪の製作に成功し、低温科学の分野で大きな業績を残した中谷宇吉郎は、物理学者寺田寅彦の弟子であり、研究でも随筆においても強く影響を受けた。本書は著者の科学エッセイ14篇を収録しており、どの文章にも詩的な表現とユーモアがふんだんに散りばめられ、純粋な科学のおもしろさがじわじわと伝わってくる。
冷えきったガラス板を天にかざし、降り落ちる雪を受け取っては顕微鏡で結晶を観察し、全く同じ形のない雪に感嘆し、生涯に渡り研究を続けた。なかでも多くの人に知られているのは、「雪は天から送られた手紙である」という名言である。しかし、雪や研究に関するものばかりではない。
明日の新聞紙面に掲載されたとしても、大きな反響を呼ぶに違いない政治家や政府の方針を暗に批判するようなエッセイもある。その一つ「琵琶湖の水」は、琵琶湖に小便をしたら、どれだけ水かさが増えるのかを簡単に計算するところからはじまるのだが、その結果は100億分の1センチ、水の分子よりも、原子よりも小さく、増えたかどうかを議論にするには理論的に意味のない数字が出てくる。さらに小便をするには30秒の時間がかかるから、その間に水かさは、小便の30万倍の10万分の3センチが蒸発して減少する。実際的にも理論的にも水かさが増えるということは成り立たない。
どんなに少なくとも少しは増すと考え、量の観念なしに愚策を打ち続ける政治家たちのやり方に釘を刺し、考えのなさを遠巻きに嗜めている。
「簪を挿した蛇」では、当時の科学教育のあり方に、自らの幼少経験から一風変わった異論を唱える。
今後は私たちが受けたような非科学的な教育ももっと必要になるのではなかろうか。反語的な言い方になるが、科学精神の涵養も型にはまって来ると、こういう逆説的な言葉もある場合には必要になって来るように思われる。
子供の時から目覚時計を直すことが好きだったり、機関車の型を皆覚えたりする子供よりも、その逆の型の方が有望なように感ぜられる。
正当な科学教育を受けられなかった田舎者のひがみと言いつつも、迷信や怪異譚など荒唐無稽な空想にも効用があるのではないかと大胆に提言する。それも本統の科学というものは、自然に対する純真な脅威の念から出発するべきという信念があったからである。不思議を解決するばかりが科学なのではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学な重要な要素なのだ。
そして、科学と文学・芸術を横断するSTANDARD BOOKSシリーズには、一風変わった冊子型の栞(しおり)がついている。本書では福岡伸一が書き下ろしており、中谷宇吉郎と現代美術家の荒川修作のエピソードが紹介されている。この2人が何をきっかけに出会い、どのような関係を取り結んでいたのか、アメリカに旅立つ前の荒川修作にどんな声をかけたのか。おまけにしては豪華すぎる栞も楽しめる一冊だ。
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