僕が歴史を好きになったのは、間違いなく中央公論社の「世界の歴史(旧版、16巻+別巻)」を読んだことがきっかけだった。世界最古の文明、シュメールから始まる悠久の物語に中学生の胸が高鳴ったことをよく覚えている。本書は、農産物こそ豊富だったが木材、石材、金属などの必要物資に欠けていたメソポタミアになぜ世界最古の文明が誕生したのか、その秘密を交易ネットワークから解き明かした野心作である。
「四大文明」は「御三家」や「七福神」のようなもので教育者による思いつきに過ぎない、との挑戦的なゴングが鳴る。過去の研究の多くは、古代文明の起源を、灌漑農耕による生産性の飛躍的な向上、余剰の蓄積、労働力の集中と社会的・政治的ヒエラルキーの確立などの面から説明してきたが、何ゆえ文明がこの地に興らざるを得なかったのかという必然性を説明していない、と著者は指摘する。
そして交易を生業とした非農耕文明に目を向ける。メソポタミア文明の場合、最初は二方面(イラン高原とアラビア湾の彼方)の隣人が必要物資を供給した。地勢上の要衝スーサを基点とする原エラム文明(非農耕文明)とその後身であるより東方のトランス・エラム文明(アラッタ国)が陸上交易を担った。
そして著者は、土器を始めとする出土品の丁寧な考古学的分析と文献史学を手掛かりに、大胆にもインダス文明(メルッハ国)はトランス・エラム文明を担った人々が立ち上げたと推論する。彼らは、東方にも農産物の生産地が欲しかったのだ。同様に銅を産出するオマーン半島のウンム・ン=ナール文明(マガン国)もトランス・エラム文明が立ち上げ、ここに、インダス川からアラビア湾を経てメソポタミアに通じる海洋交易ルートが確立された。
マガン国はやがてバハレーン島に移る(バールバール文明、ディルムン国。著者は、この地で古代遺跡の発掘に携わっている)。しかし、インダス文明が崩壊すると(BC1800年頃)、この東方の必要物資の大供給ルートも衰亡する。メソポタミア文明は、ユーフラテス川の上流を開発し西方の産物(キュプロスの銅、シリアの杉材など)を入手することでそれに代替したのである。
中東では米国との修復を果たしたイランが台風の目となっている。有松唯「帝国の基層」によると、西アジア最古の領域国家(=アケメネス朝ペルシャ帝国)は、メソポタミアの都市国家から単純に進化したわけではないとされる。しかし、トランス・エラム文明を想定すれば、この問題もたちどころに氷塊する。メソポタミアとインダスという二大文明を結ぶミッシングリンクとしてのトランス・エラム文明、そして世界帝国の雛形とされるアケメネス朝ペルシャ、イランを核とした壮大な物語が歴史好きの血を騒がせる。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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