本書はイラクで暗躍する民間軍事会社を扱ったルポタージュである。2009年に出版された同タイトルの文庫版であるため、扱われている事件やイラクの政治状況は少し古いものとなる。しかし今のイラク情勢に繋がるヒントの一端は読み解くことが出来る。
著者はワシントンポストの特派員としてイラク戦争を取材する。その活動により2006年にはピュリッツァー賞を受賞している。著者自身、イラクにおける戦場体験により、戦場という狂気に心を奪われることになる。友人や家族の反対を無視し、イラクへの取材を重ねる。そして、民間軍事会社という、現代の傭兵たちに出会う事になる。彼が取材した傭兵たちも、戦場という中毒性のある狂気に飲み込まれていた。
著者が密着した警備会社はクレセントというイタリア人が設立した会社だ。著者は米軍の取材から民間軍事会社に取材対象を変更した時点では、まだ民間軍事会社と言っても、その実態が玉石混淆である事に気づいていなかった。彼が米軍と行動を共にしていた時期に接点のあった民間軍事会社は、アメリカ大手の会社で、オペレーターも元特殊部隊出身者のみで編成されたプロフェッショナルな部隊であったという。しかし、クレセントは違うと取材を重ねるうちに著者は気づく。
クレセントの傭兵は軍隊経験者以外の者も多く、アル中の警察、教師、作家、コック、運転手などその経歴は雑多だ。
著者がクレセントで親しくなったジョン・コーテは18歳で米陸軍に入隊し、81空挺師団に所属した。成績が優秀だった彼は上官から士官候補生となる事を強く勧められるも、これを断る。前線での刺激的な経験を好んだためだという。優秀な兵士としてイラクに数度派兵され叙勲も受けている。人好きがする陽気で楽天的な性格でイケメンのコーテに著者もすぐに好感を抱いた。
ジョン・コーテは除隊後、フロリダ大学で会計学を専攻する。学問に興味があるというよりは、温暖な気候の街にある大学で、軍隊時代に経験出来なかつた青春を謳歌するためだ。ハンサムで戦争の英雄であるコーテはたちまち大学で人気者となり、多くの友達を作る。常に美女に囲まれ、パーティー三昧の毎日を送ることなる。
傍から見れば、チャラチャラした若者に見えた。しかし、親しい友人たちは彼が心に大きな闇を抱えていることに気づいていく。次第にふさぎ込むことが多くなり、異常なまでに刺激を求め、車やバイクで危険行為を繰り返し、深酒に溺れていく。面倒見が良かった彼は、多くの人に頼られる存在であった。だが次第に友人たちは自分たちこそ、彼を支えねばと思うようになる。
友人の努力は実を結ばなかった。コーテは気づいてしまったのだ。温暖な気候で美女が集うフロリダ大学はユートピアだ。遊びも勉強も思うがまま。しかし、ここで楽しめないのなら、アメリカのどこに行っても楽しめない。ここに居場所はないのだと。そして彼はクレセントに入社し、イラクの戻ることなになる。だが、そこに待っていたのは過酷な運命であった。
クレセントはハイブリッドな警備会社で欧米人のオペレーターとイラク人傭兵からなる混成チームで行動していた。欧米からの出稼ぎ組は月に7000ドルの給料を受け取る。チームリーダーは8000ドルだ。イラク人傭兵は600ドルで同じ仕事をこなすという。しかもイラク人はピックアップトラックの荷台に設置された機銃を担当する。炎天下の中で砂塵にまみれ、銃弾の中に身を曝す状態で勤務している。この不平等がクレセント内で軋轢を生む。
イラク人社員が管理する、同社の武器庫の武器がある日忽然と姿を消していた。急遽、イラク人社員に闇市で武器を調達させたところ、なんとクレセントが所有していた武器が買い戻されてきたという。このような信頼の裏切りあいで軋轢はさらに深まり、ついにイラク人社員が罠を仕掛ける。その結果、クレセントのオペレーターが拉致される事態にいたる。その中にジョン・コーテもいた。
民間軍事会社の置かれた状況は混沌としており、敵味方が判然としない状態で活動していた。ある会社はイラクの国境警備員に車両や輸送物資を強奪された。この会社は地方政府に訴え損害を回復するのではなく、武装したオペレーターを警察署に派遣し武力制圧して強奪された物を取り返したという。
また、クレメント社では過去に狙撃攻撃を受けた街を通過する際には、必ず目に入る物すべてに銃撃を加えるという作戦をとっていた。窓という窓に制圧射撃を行っていたのだ。警備会社各社は、接近してきた車両に無警告で射撃を加え、多くの民間人、イラク人警察官などが犠牲になった。著者はアメリカで報道されることのない、これらの事件を丹念に取材する。イラク人からすれば、米軍も警備会社も同じだ。双方の不信と憎しみが増していく経緯が克明に描かれている。
傭兵がすき放題できた理由は、連合軍暫定当局代表のポール・ブレマーにある。彼が発した第17号指令では、民間軍事会社の人員を含む占領国の人員をイラク政府の法の適応外に置くと定められていた。彼らには免罪符が与えられていたのだ。このような状況を軍事会社のオペレーターは「ビッグ・ボーイ・ルール」と呼ぶ。強い者が正義という世界がイラクの日常になっていた。
イラク駐留米陸軍工兵隊兵站部長のジャック・ホーリーは指摘する。この戦争は戦闘と復興を同時に行っている、それが問題なのだと。そして、それは米国の戦争を失敗に導く恐れがあると。
工兵の復興作業の多くは戦闘の行われている地域で戦闘と並行して行われていた。工兵と工兵が必要とする物資の護衛は、全て民間軍事会社にアウトソーシングされていた。ジャック・ホーリーはいわば傭兵を管轄する立場にいたのだが、彼でも全てを把握することは不可能だという。特に、国務省と契約を結んでいる「ブラック・ウォーター社」は手出しできない存在だった。傭兵の活動を規制しようとし、かつそれにある程度、成功したイラク駐留多国籍軍司令ペトレイアス陸軍中将ですら手が出せない存在になっていた。
その結果、ブラック・ウォーターによるニスール広場での虐殺事件が起きる。ブラック・ウォーター社の傭兵が、何の前触れもなくニスール広場で銃撃を始め、17人の女性や子供を含む民間人を射殺したのだ。この虐殺事件でも、傭兵たちが罪に問われることはなかった。
社会に居場所を見つける事が出来なかった男たちが、戦地に赴きビッグ・ボーイ・ルールに従い行動し、その力が尽きたとき、敵によるビッグ・ボーイ・ルールにより薙ぎ払われる。彼らに殺された民間人がアメリカによって黙殺されたように、殺された傭兵も戦死者には含まれない。傭兵も傭兵による犠牲者もアメリカから無視される存在なのだ。しかし、彼らがふりまいた増悪の種は、決して消えることなくイラクにしっかりと、憎しみの連鎖という仇花として根付くことになる。
民間軍事会社の存在がISに繋がったとは断定できない。ISの台頭は様々な要因が絡み合った結果だ。しかし、民間軍事会社とISに因果関係が無いからと言って、相関関係までは否定できない。本書はその事実を私たちに突きつける。