人々の行動を支配しているルールは存在しているのか。
組織での情報はどのように広がり、どのようにしてアイデアは広がっていくのか。創造的な社会構造を指し示すことは可能なのだろうか。これまでのところ、人間の行動は自由意志によってコントロールされており予測することは困難だというのが常識だった。
社会物理学とは何か
その状況が今、変わりつつある。近年はメールが、SNSが、身体に装着する記録機器が、さらにはそこで集めた膨大なデータを処理し、傾向を導き出すシステムが整ってきた。本書はその「現代だからこそ可能なこと」を最大限活かした実験結果によって成立している「社会物理学本」だ。社会物理学とは、『情報やアイデアの流れと人々の行動の間にある、確かな数理的関係性を記述する定量的な社会学である。』と本書では述べられている。
それは実際どのようなものなのか? たとえば、「あなたの今の気持ちを5段階で評価してください」という社会学系の研究で行われている主観的な、揺らぎを持つアンケート結果は使われることはない。メールやSNS、電話情報、身振り手振り、話の間、喋っている時間などなどを取得して「組織の中で、どれだけのやり取りが発生しているのか」といった、行動そのもの、いわば「客観的事実」を元に情報やアイデアの流れと人々の行動を導き出していく。
それを推し進めているのはマサチューセッツ工科大学の教授として勤務し、ビッグデータ研究の世界的第一人者と呼ばれるアレックス・ペントランドだ。実をいうと読む前はこじつけめいているんでしょと若干疑りながら読んでいたけれども、その理論的な根拠と、実際に著者らが研究から得た知見を実地で活かしている実例などを読んでいくと印象も大きく変わってくる。インセンティブ分析からくるルール設計、組織構造の設計、それを敷衍させデータ駆動型の都市設計、社会構築にまで話が広がっていくと実に面白い光景が目の前に広がってくる。
個人について
たとえば、非常にローカルで個人的なところから始めると「個人の習慣や政治志向、消費活動はどれほど付き合う人間の影響を受けているのか」も分析によってある程度わかる。本書で記述されている実験では、ある学校の寄宿舎の学生に特別なソフトウェアが組み込まれたスマートフォンを配布し、50万時間分以上のデータ、体重測定など身体的なものまでを含めて収集している。
その結果として、対象となった学生と、体重が増えた同窓生との間には強い関連性が認められ、一方で寄宿舎には属していない友人との交流では関連性は認められていないことがわかった。食べる量などに影響を受けるのだから当たり前じゃないかと思うかもしれないがデータ的に実証され、「結びつきではなく、合計でどのくらい接したのかという量が重要」ということがかなり明確にわかったといえるだろう。
この傾向はたとえば政治的関心についても同様で、特に「同じ意見を持つ人物への接触の量」によって自らの意見を先鋭化させていくことがわかっている。それを推し進めていくと、他人との接触の量を測定することで学生の最終的な投票行動を予測できるようになる。こうした傾向をみていくと『現代社会は個人を重視する傾向にあるが、人間の意思決定の大部分は、仲間たちと共有する常識や習慣、信念などによって形作られる』ことの重要性が浮き上がってくる。
組織について
組織についても面白い実験がある。「ソシオメトリック・バッチ」と呼ばれる装置を身体に装着し、話し方のトーン、ジェスチャー、相手と向き合っているか、話している時間、間、相手の発言を遮る頻度など「細かい」情報を拾い上げ分析する。幾つもの実験結果があるが、概ね示しているのは情報の交換・やりとりを対面にしろチャット・ワークにしろ交流の頻度と多様性が高くなることが営業成績などの最終パフォーマンスに大きな影響を与えるということだ。
より多くの人が交流し、特定の個人間だけのやりとり、あるいは一人の発言だけに終始しないことが重要といえる。もちろん多言語環境や文化的な背景を共有していないなど交流の促進が単純に困難な場合もあるが、本書はやりとりの量を「可視化」させ自分たちで状況をコントロールする手段を与えるなど実際的にその対処法についても述べているところが良い。
データ駆動型都市
そうした情報を集積し、分析していく過程で「もっと大きなもの」に適用したらどうだろうかという発想が生まれてくる。本書ではそれをデータ駆動型都市という形で構想している。たとえば、人間の行動のほとんどはパターンにのっとって予測可能な形で行われており、それらを反映した形で交通やサービスの在り方を考え、設計することができるとする発想だ。
ほとんどの人々にとって、典型的な行動パターンとは、仕事がある日になる。つまり同じ道を通って仕事に行き、帰ってくるという生活が繰り返されるわけだ。その次に頻出するパターンは、ウィークエンドや休日である。休日には睡眠をとったり、夜中に家庭や職場以外の場所で過ごしたりする。驚くべきことに、自由時間においても、私たちがいく場所やすることは、ほとんど同じで、その点においては仕事のある日と変わらないのだ。しかし第3のパターンは、まったく違ったものになる。ショッピングや遠出など、探求に使われる日だ。第3のパターンの特徴は、明確な構造が存在しないという点である。これら3つのパターンで、私達の行動の90%以上が構成されている。
実際には、GPSデータから道路の混雑状況をリアルタイム反映させる、Googleが「インフルエンザ」という単語がネット検索された回数をカウントすることで感染症の流行を予測するなど既に実地で使われているものも多い。だが、糖尿病のリスクを抱えている人がいつどこで食事をするのか、金銭感覚に問題を抱えている人物の買い物場所の把握など分析し結果が出せれば面白いことになりそうな場所がまだまだ数多く眠っている。
本書ではこのあと、データ駆動型都市だけでなく「データ駆動型社会」とそれをさらに広範囲に適用したケースまで思考を広げてみせる。アイデアの流れを活性化させる構造設計。創造性やパフォーマンスを発揮させる為に、多人数情報交換、探求行為をそうと意識させずに促進させるなど、おそらくはいくらでも可能になるのだろう。それはパフォーマンスだけに目を向ければまさに「理想社会」と呼べるのかもしれない。
しかし、行動のデータを吸い上げられ自分でも意識しないうちにハイパフォーマンスを出すように管理され続ける社会はまるでアップデートされたディストピア社会だ。本書は、「はたしてハイパフォーマンスを発揮することがそもそも良いことなのか」という疑問、広く社会にまでこれを適用した時に「プライバシーはいかにして、どのようなルールの元守られるべきなのか」などなどの議論も含めて面白いのである。
おわりに
本書には、エンゲージメントを高める、インセンティブ誘導を行うといった個人がすぐにできる情報も多い。何より、組織運営を考える時に(自分が単なる一員であったとしても)組織図に基づくマネジメントという旧来的な視点から、アイデアの流れ、ハイパフォーマンスを発揮させ、情報のやりとりが活性化される仕組みに視点を向けることができるだろう。チームを作る側としても、その中で立ち回る側としても、実に参考になる一冊だ。