本書『こうして、世界は終わる』はどんなジャンルの本なのか、ひとことで説明するのは難しい。
時代設定は西暦2393年。温暖化による海面上昇で西洋文明が崩壊してから、300年の時間がたっている。第2次中華人民共和国の歴史研究者が、20世紀から21世紀(つまり私たちが生きている今現在)を振り返って、未曽有の大災害をなぜ防げなかったのかを語るという内容だ。
それだけ聞くと近未来SF小説のように聞こえるが、災害のドラマチックな描写も、SFにはつきものの新しいテクノロジーもない(一つだけ、大気中の二酸化炭素量を減らすあるものを、日本人の女性科学者が開発したということになっているが)。
21世紀の今を生きている私たちの周囲で何が起こっているのか、その後、地球がどのような状態になったのかがとてもリアルに描かれ、ノンフィクションを読んでいるような印象だ。
社会的に大きな影響力を持つ現役の科学者が、このような設定の本を書いたということ自体がまず驚きである。
本書の語り手である歴史研究者は、“暗雲期”と呼ばれる時代、地球の気温が上昇を続け、いずれ氷が解けて海面が上昇するのはわかっていたはずなのに、何も有効な手を打たなかったために惨事を招いたとしている。
そして温暖化を阻止できなかった要因として、化石燃料を使用し続けることで莫大な利益を得る“炭素燃焼複合体”の存在を指摘し、その主張を支えた専門家集団である(はずの)シンクタンクを批判している。
著者のオレスケスとコンウェイは、共著である『世界を騙しつづける科学者たち』(楽工社)で、特定の企業や政治団体と癒着し、世論操作に手を貸した専門家たちを、いわば“御用学者”として糾弾している。その意味で、本書はその延長線上にあると言えるだろう。
科学が政治や経済に大きな影響を与えるようになり、科学者もただ研究をしているだけではすまなくなっている。研究を続けるためには資金が必要なのも事実なので、“スポンサー”に気を使わなければいけない場面もあるのかもしれない。
しかしやはり科学者の仕事は真実を探求することだ。本書の語り手が特定の組織に取り込まれてしまった科学者に厳しい批判を向けている姿勢は、オレスケスとコンウェイ自身の姿勢と重なっている。
現在の科学の世界では、真と認めるための基準が高すぎるというのが、オレスケスとコンウェイの見解だ。
気温の上昇がデータに表れていて、その原因はおそらく大気中の二酸化炭素量の増加であると推測はできても、明確な因果関係を証明するには、非常に高い基準をクリアしなければならない。二酸化炭素の排出量を減らせば、気温が下がるという保証もない。
オレスケスとコンウェイ自身、世界的な科学者であり、科学的な厳格さは重視しているはずだ。しかし極端なほど高いハードルはむしろ不適切であり、その姿勢が危機への対処を遅らせる、あるいは誤らせると釘を刺している。
日本では東日本大震災以降、環境問題というと原発事故のほうに話が集中し、地球温暖化や二酸化炭素削減についての議論はめっきり減ってしまったように感じる。しかしその間にも温室効果ガスは排出され、本書で描かれているような世界へと進んでいるのかもしれない。
彼女たちが指摘する科学と政治・経済の癒着や、科学的な仮説をむやみに否定する風潮への苦言は、原発をめぐる議論にも通じるものがあるはずだ。
本書の語り手の歴史研究者は、21世紀に生きた人々はじゅうぶんな知識を持っていたと言っている。ただ、その知識を力にすることはできなかったのだと。知識をどうすれば力に変えることができるのか。現代に生きる私たちの科学との関わり方、危機に対処する力が問われている。
渡会圭子(わたらい・けいこ) 翻訳家。上智大学文学部卒。訳書に、マイケル・ルイス『フラッシュ・ボーイズ』(東江一紀との共訳)、マーリーン・ズック『私たちは今でも進化しているのか?』(ともに文藝春秋)、チャールズ・デュヒッグ『習慣の力』(講談社)、ロバート・ヘイゼン『地球進化 46億年の物語』(講談社ブルーバックス)、ガブリエル・ウォーカー『スノーボール・アース』(早川書房)、トーマス・ヘイガー『大気を変える錬金術』(みすず書房)などがある。