「日本に本格的なフランス料理がやってきたのはいつ、誰によってなのか」
そんな問題意識をもとに、ノンフィクション作家の著者は、料理に関する作品を執筆するチャンスをうかがっていた。当初は、1970年の大阪万博が転換期だったのではないかと仮説を立てていたそうだ。だが調べるうちに、日本のフランス料理界発展に大きく貢献したある料理人の存在が浮かび上がってくる。
その人物の名は、1927年にオープンした横浜・ホテルニューグランド初代総料理長、サリー・ワイル。ホテルオークラ東京の初代総料理長である小野正吉、日活国際ホテルの総料理長として活躍し、1964年の東京オリンピックでは選手村食堂の総料理長を務めた馬場久など、後に日本のフランス料理界を牽引する伝説の料理人たちがワイルの薫陶を受けていることからも、その影響の大きさが分かる。
しかし、そんな功績の大きさとは裏腹に、ワイルには謎も多い。フランス料理のレベルアップに貢献した人物だが、実はスイス出身で、弟子からは「スイス・パパ」の愛称で親しまれていた。また、獅子奮迅の活躍でありながら、その人生はあまり明らかにされてこなかった。
本書はそんな知られざる名料理長の肖像に迫る評伝である。10年前に出た単行本の文庫版なのだが、本当にギリギリのタイミングで生まれた本だと思う。なぜなら、ワイル自身が1976年に他界しているだけでなく、ニューグランド時代の教え子たちも明治や大正生まれであるからだ。実際にワイルと共に働いた料理人で、2005年当時ご存命だったのは2名。おまけに資料もあまり残っていないため、限られた証言と限られた資料によって成り立っている奇跡のような本なのだ。実は運に恵まれた部分もかなりあるのだが、それについては後ほど触れることにする。
ワイルが初めて来日したのは1927年。日本が関東大震災からの復興の最中にあった時だ。中でも横浜の被害は大きく、ホテルニューグランドも建設の資金集めに苦労したという。廃墟の中に建てられたこのホテルは、まさに横浜復興のシンボル。ワイルを始めとする料理人たちには、かなりの重圧があったに違いない。
料理長ワイルは、当時の日本の西洋料理界における常識を覆す、様々な改革を実行する。特に大きかったのは、料理人の持ち場を半年から一年ごとに変える「ローテーション制」の導入だ。「煮込みなら誰々」「宴会料理なら誰々」というように一芸を極めることが当たり前だった当時の風潮に逆らい、総合的な料理の力をつけることを促したこの取り組みはまさに「革命」だった。
調理以外の面でも、意識改革が行われた。服装や態度、そして飲酒や喫煙に至るまでを細かく指導。それまで粗雑で猥雑だった料理人の生活態度は一変し、職業としてのステイタス向上にも貢献した。
こうした小さな積み重ねが実り、ホテルニューグランドの評判は日増しに高まっていく。ベーブ・ルースやチャップリンなど、戦前日本に来日した大スターたちもその料理に舌鼓を打ったそうだ。復興の象徴としての重責を見事果たしたワイルは、皇居での公式晩餐会の担当に抜擢されるなど、さらに活躍の場を広げていった。
当然ごとく料理界でもその噂は広まり、腕自慢の料理人たちが全国から横浜に集まってくる。質の高い料理が優秀な料理人を呼ぶ好循環。著者が書くように、当時のニューグランドはまさしく「料理人の梁山泊」だった。
しかし第二次世界大戦が、ワイルを横浜から、そして日本から遠ざけていく。数十カ国もの外国人が疎開させられた軽井沢の地で、彼は食料の調達や配給の仕事に従事する。慣れない労働、経験したことのない冬の軽井沢の寒さ、そして何より、満足な料理を提供できない環境に料理人としての心が耐えられなかったのだろう。喘息で体調を崩したワイルは終戦の翌年、故郷スイスへ帰国する。20年弱にわたる華々しいニューグランド時代は、ワイルの料理人としてのピークでもあった。
本書後半にあたる、日本を離れてからの話は実際に読んで確かめて欲しい。日本での実績がスイスで受け入れられず、食料品会社の営業マンとして働くワイルの後年からは何とも言えない悲壮感が伝わってくるだろう。だがこの後半部分こそ、読んでいて感情が揺さぶられるところなのだ。10年ぶりの再来日を企画し、日本各地でワイルを温かく迎えるかつての教え子たち。その厚意に感激し、ヨーロッパに飛び込む日本の若手シェフへ修業先を紹介する懸け橋になることで応えたワイル。時間も空間も超えて心を通わせる料理人たちの固い絆には、思わず胸が熱くなる。
最後に、取材を続ける中で、著者に舞い降りた幸運について触れておこう。始めの方でも少し書いたが、もしどこかでタイミングがずれていたら、本書は生まれなかったかもしれないのだ。スイス取材へ向かう5日前には、ワイルの住所が書かれた手帳と偶然の出逢いを果たした。スイスに暮らすワイルの姪は、著者が現れなければ伯父の資料は棄ててしまうところだったと語った。それ以外にも、実に良いタイミングで取材協力者と邂逅している。著者も語っているが、自分の存在を書き残して欲しいという、ワイルの意思が働いているかのように思えてしまう。本書は生まれるべくして生まれた一冊と言っていいかもしれない。
そんなストーリーを踏まえると、10年前に発売され、その後しばらく絶版になっていた本書を文庫版で初めて知ったことにも何だか縁を感じてしまう。本書が読まれることで、より多くの人の記憶にワイルの人生が刻まれる。このレビューがほんの少しでもそれに貢献できたのなら、とても嬉しく思う。
調べてみると、絶版だった単行本が2年前にkindle化されていたのを発見。
仲野徹のレビューはこちら
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『サリー・ワイル物語』著者の神山さんが大宅賞(雑誌部門)を受賞したルポをまとめた本。
東えりかのレビューはこちら