たとえるなら、巨大掲示板サイトに「IS幹部だけど、何か質問ある?」といった書き込みがされていたとする。それが本物かどうかは分からない。だが仮にそれがネタであったとしても一体どのようなリアクションを返してくるのか、試したくなっても無理はない。それがジャーナリストなら尚更のことだろう。
本書の著者アンナ・エレル(仮名)も、初めはそんな軽い気持ちに過ぎなかったのだ。IS(「イスラム国」)関連の取材を進めている最中に、何気なくシェアした一人のジハード戦士のネット動画。程なくして当人と目される人物から、立て続けに3通のメッセージが届く。
こんにちは。俺のビデオ見てくれたんだね。これ、世界中の人が見てくれてて、驚いているんだ!君、イスラム教徒だよね?
ムジャ・ヒディン(ジハードを遂行する者)ってどう思う?
シリアに来ない?
ジャーナリストであった彼女にとって、それが情報を得るためのチャンスにしか見えなかったのも、当然だったかもしれない。瞬間的に、彼女は「イスラム教徒へ改宗した悩める若者」へとなりすます。だがそれは、彼女の運命を大きく変える一歩でもあったのだ。
本書はあるフランス人女性ジャーナリストが約1ヶ月間にわたって、IS幹部と直接やり取りを行った時の取材記録である。やり取りされた時期は、2014年4月頃。いわば戦慄のルポルタージュと言ってもいい内容なのだが、行為の緊迫さとは裏腹に表面上はユルいやりとりが交わされていく。
彼女がまず行ったのは、アバターとなる人格を綿密に組み立てることであった。毎日が空虚で人生にうんざりし将来にも希望が持てない人物像。人を支配するよりむしろ支配されることに生きがいを感じるタイプのキャラクター設定。このようにして過去の傷を引きずりながら生きる目的を探す「悩み多き10代の若者」が完成する。その名は「メロディー」。
幾度かのメッセージのやりとりを交わした後、今度は次のハードルが訪れる。ジハード戦士からスカイプでの対話を求められるのだ。ヒジャブ(ベール)を手に入れて、自分と「メロディー」が一日何度も入れ替わる日々が続いていく。仕事の合間や、恋人が自宅にいるときにも繰り返されるスカイプでのやり取りは、想像以上に過酷だ。
それらの代償と引き換えに手にしたものは、「俺と結婚してくれたら、王妃みたいな暮らしをさせてあげられるよ。」というプロポーズの言葉であった。相手となったジハード戦士は、「アル・バグダディに最も近いフランス人」と呼ばれるアル・ビレルという人物であったことが、後に明らかになる。
ISの巧妙なリクルーティング活動、メディアでそう報じられることも多いが、本書の記述はそのような印象とはほど遠い。独りよがりの過激な教義を押し付け、セクハラ、ストーカーまがいの自分勝手な言動で色目も使ってくる。爆笑を意味するPTDRもあれば、赤いハートマークの絵文字もあるといった具合だ。
君は処女か?
きれいな下着は好きかい?ベイビー
それらの記述に、プロのジャーナリストとしてのフィルターが掛かっていることは忘れてはならないだろう。だがそれでも、しつこく、執拗に、毎日毎日追いかけられると、それはボディーブローのように効いてくる。
日を追うごとに、ビレルからのメッセージは増え、朝、昼、晩と絶え間なく一方的なメッセージ送られて来る。「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」「そこにいるのか?」
たまらずやり取りに応じると、今度は「メロディー」を通して、彼女の価値観、市民としての信条、人間性についての考え方を攻撃してくる。それは、十分に彼女の精神に変調を来たすほどのものであったという。
シリアへ来るようにと執拗に誘うビレルに対して、やがて彼女は踏み込んだ作戦を遂行することを決意する。休暇を利用してオランダへ行き、そこからビレルに指示された通り、イスタンブールへ向かう。迎えに来るはずの使者を遠巻きに撮影し終えたら、一転背を向けジャーナリストとしての彼女に戻り、別の取材先へ向かうというものである。計算通りに事が進めば、何の問題もないはずであった。しかし、全ては上手く行かなかったのである。
本書の取材方法については、否定的な意見も寄せられるところだろう。だが、約一ヶ月に及ぶやり取りを追うことで、「なぜ若者はISを目指すのか」という答えだけでなく、「なぜジャーナリストはISに足を踏み入れようとしてしまうのか」、そんな疑問に対する回答も見えてくる。ISという記号化された集合体ではなく、等身大の人間から発せられる生々しいほどの実態を目の前にぶら下げられた時、ジャーナリストはどこまで冷静に対処できるのか。
何より目をひかれるのが、著者がアバターとして設定した「メロディー」とアル・ビレルとの間に見られる、恐ろしいまでの類似性である。これから彼の地を目指すものと既に彼の地へ移住したものとの対話を通して、ジハーディストの孤独さ、寂しさのようなものが存分に伝わってくる。
だからといって感情移入するような対象でないことは、その後の顛末を知れば火を見るよりも明らかだ。帰国後、彼女は自分への報復刑が告示されている動画を目にする。そこに書かれた、背筋も凍るメッセージ。彼女は現在、フランス警察の保護を受けながら、静かに暮らしているという。
インタビューを受ける著者(フランス語)。当然のことながら、顔ははっきり映せない。