『進みながら強くなる』思考と道徳について考える。

2015年5月8日 印刷向け表示
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進みながら強くなる ――欲望道徳論 (集英社新書)

作者:鹿島 茂
出版社:集英社
発売日:2015-04-17
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 文部科学省が道徳の教科化を決定したことで、喧々諤々の議論が巻き起こった事は記憶に新しい。マスコミなどで繰り返される道徳の教科化を巡る議論を聞いていると、賛成、反対派を問わず、どこか紋切り型な話が多い。

日本社会の根幹にどのようなシステムが存在し、それが日本社会の道徳形成にどう影響したかという、もっとも重要な思考的考察がこれらの議論には抜け落ちているのではないか。仏文学者の鹿島茂が著した本書は、そんな疑問に大きなヒントを与えてくれる。

本書は家族人類学者のエマニュエル・トッドの考えを根底に、家族形態の違いこそが人の思考を規定する、という観点で物事が考察されている。

ではエマニュエル・トッドが考える家族形態の類型とは、どのようなものなのであるろうか。まず、アメリカ、イギリス、フランスといった国々を「核家族」形態とし、日本、韓国、ドイツ、スウェーデンなどの国を「直系家族」形態と分類している。さらに細かい分類と分析も記されているが、ここでは省く。

ここで説明するまでもないかもしれないが、核家族の特徴は父、母、子の組み合わせが最小にして最大の単位を形づくり、子供は独立した生計を営むようになると親元を離れ、同居することはなくなる。また子供が独立した時点で一個の人格として認め、お互いに干渉することをしなくなる。直系型家族の特徴は子供が成人して生計を立てられるようになっても、親は子供の一人と同居し続けるというのが特徴だ。

著者は日本でも形こそ核家族化したように見えるとはいえ、その実態は直系家族の変異した形態でしかなく、本質的な部分で直系家族の形態を引き継いでいるとしている。

核家型家族の社会では、子は親から独立することにより、完全な自由を手にするが、その反面、自らの行動の全てにおいて自己責任が問われる。このため、教育において自ら「考える」姿勢を、非常に強く教え込まれるという。

一方で直系型家族は親の権威が強く子は独立後も、多くの決断を親に委ねているため、自ら物を考えることが苦手であり、代々続く伝統的価値観を墨守する傾向が強いという。

直系型家族の国々では概してモラルが高いことが多い。父権というものが人々の意識の中に常に存在し、人々の行動を監視している為である。フロイトはそれを超自我と呼んでいる。フロイトもまた、強固な父権が存在する直系型家族形態の社会を営むユダヤ人である。

父権に支えられた超自我が、私たちのモラルを常に規定している。これらの考察を読んでいると日本はモラルが高い反面、社会や思考が柔軟さをかき硬直化しやすくなるような欠点を抱えているように思える。

では、一方で核家族形態の社会でモラルというものはどのように形成されるのだろうか。著者はこれらの国々では、「考えること」がモラルを規定しているという。考える事とは、つまり自己の利益を最大化するこういだという。このように聞くと、むしろ人々が自由に振る舞い、秩序が失われるように思える。だが、実際はそうはならない。なぜならば、欲望を100パーセント出してしまえば、必要以上に競争が激化し、手に入る利益が縮小してしまうのだ。

自己の利益を最大化するためには、理性によって欲望や自己愛をある程度コントロールする必要がある。このような社会では「正しく理解された自己利益」というものを常に考え、発展させていく必要が生じるというのだ。

「正しく理解された自己利益」に基づく秩序を、絶対核家族社会であるイギリスに生まれた社会学者ホッブズは社会契約と呼んでいる。このタイプの社会は、常に利益の最大化すために、イノベーションが生まれやすく、柔軟な社会システムを生む一方で、時には理性というブレーキの利きが弱くなり、利益追求が行き過ぎてしまうこともある。現代の社会を覆う資本主義システムもまた、この核家型社会が生み出したものなのである。

戦後、アメリカ型の民主主義や経済システムを取り入れてきた日本では、徐々にではあるが、家族形態の変化が起きている。これが、モラルの低下と呼ばれるものの正体であるようだ。

父権の低下により超自我の存在が私たちの中から薄れつつある。その一方で、日本人は核家族社会のように、「正しく理解された自己利益」というものを思考するような教育を受けてはいない。

著者はこのため、いかに思考するか、思考するとはどのような事か、という問題をデカルト著の『方法序説』とパスカルの言葉を引用しながら説明する。個々人が自ら深く社会のあり方を問いながら、新しい道徳観を形成しなければいけない時代が来ているのではないかと、問いかけている。

安倍政権はアメリカ型の社会システムをより積極的に取り入れる方向に舵をきろうとしている。だが、資本主義社会の中で、安倍首相などが望む旧態依然の道徳観を人々に押しつけようとすれば、混乱が広がるばかりなのかもしれない。現実と理想とで引き裂かれたアイデンティティの混乱が過激な排外思想へと発展する可能性さえあるのでは、と邪推してしまう。

そう考えると著者のいうように新しい道徳を生み出す時期に来ているのかもしれない。だが、日本の社会が天皇を頂点にした、一種の疑似直系家族型社会である事を思うと、核家族型の思想体系と日本の思想提携をどのように融合させるのかという、政治的問題が常に付きまとうのかもしれない。

ただ、資本主義社会の中で「正しく理解された自己利益」を追及する思考を学ぶことは個人の人生にとって大きなプラスになる事は間違いないと思う。その一点だけとっても本書は読むに値するのではないか。

考えてみれば日本の近代史とは、この様な思想的緊張の連続だったのではないか。かつて中江兆民が『三酔人経綸問答』で、引き裂かれた日本の価値観を見事に描写したが、その答えは100年以上経った今も出ていなのであろう。
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