我々は今では飛行機に乗る時に厳重な持ち物の検査を受ける。長い列ができて、それなりに時間がかかることも珍しくない。持ち込みは制限されるし、見られたくないものであってもガサガサとチェックを入れられてしまう。そうした状況への抗議はあれど、多くの人はそれを「仕方がないもの」として受け入れていることだろう。何しろ我々がいるのは9.11以後の世界であり、自分たちの乗った飛行機が得体のしれないテロリストに占拠されてしまっては困るのだから。しかし、それが過去いかなる時代においても当たり前であったわけでもない。
GWの真っ只中、飛行機移動をする方が多い中で紹介するのも気が引けるのだが、本書はハイジャックを扱った一冊だ。今では信じられないかもしれないが、かつては空港外の道路から、何者にも遮られること亡く空港内を通り抜けて搭乗ゲートまで移動できた。当然金属探知機もX線検査機も手荷物検査もなし。その当然の帰結とでもいうべきか、ハイジャックがアメリカ領空ではじめて起こった1961年から1972年までの間に、アメリカでは159便もの民間航空機がハイジャックされてしまう。
ハイジャック犯の多様性
159便のハイジャック──にわかには理解し難い数字だ。場合によっては同時に(しかしまったく無関係な)2機のハイジャックが起きたことすらあったという。本書はそうしたハイジャックがなぜ起きてしまったのか、何十人もいるハイジャック犯はどのような動機で事件を起こしたのか、また法整備、空港の保安システムはどのように変わっていったのかを描いていく。
まず面白いのはハイジャック犯の多様性で、破産した実業家、挫折した学者、失恋したティーンエイジャー、英雄視されていたハイジャック犯に憧れた少年などあらゆる立場の人間がいる。特に1972年のハイジャック犯達は常軌を逸している。
その年のハイジャック犯たちは大胆で、説明がつかないほど愚かで、狂気の沙汰に近いリスクをとる傾向にあった。六桁の身代金を胸に抱いてジェット機からパラシュートで飛び下りる中年男も何人かいた。地球の裏側の紛争地帯に行けと要求する躁病の過激派もいた。幼子に哺乳瓶で授乳しながらピストルを振りかざす若い母親もいた。FBIが武力による介入を辞さなくなったにもかかわらず、自らの壮大な目的を達成するためなら死さえもいとわない、こういった冒険家たちを思い留まらせることはできなかった。
動機はいったいなんなのか
それにしてもいったいどのような事情と思想が彼らをハイジャックなどというハイリスク(一手間違えればFBIに射殺される)、ローリターン(そのまま他国に亡命しても金は還元されない)な行動に駆り立てるのか。一つ共通しているのは人々の尊厳を得たいという欲求だ。その為の手段として政治犯の解放を主張をしてみたり、自分が自分らしく生きられる国への亡命を希望したりと要求は多様に散らばっていく。まるで飛行機を、空を飛ぶ劇場に見立てたかのような、理解し難い動機も多い。
ニューメキシコ州の不動産王の後継者を自称する二八歳の青年は、どういうわけかカウボーイの格好でデルタ航空機を乗っ取った。ミシガン州カラマズー出身の社会学を専攻する大学生はパイパー航空PA24のパイロットに、共産主義をじかに学びたいのでハバナに連れて行けと要求した。またキューバ人の三四歳の亡命者は、もうこれ以上母親の作ってくれる絶品のフリホール[豆を煮た料理]なしでは耐えられないと言って、ノースウェスト機を故郷に向かわせた。
数多いるハイジャック犯の中でも、本書ではハイジャック史上最長距離を飛ぶ記録を成し遂げたカップル、ホルダーとカーコウを中心にみていく。この二人もお気楽でアッパーな、ちょっと道を踏み外してしまったドアホウといった感じで筋金入りの悪ではない。だからこそ同情してしまう部分もあるのだが、ある意味では普通の人達が思いつきでハイジャックできてしまう状況自体に、大きな問題をはらんでいると言えるだろう。
なぜそんなことが出来てしまったのか
一つは最初に述べたように、セキュリティがまったく機能していなかったからだ。犯人は本を繰り抜いた中に銃を入れたり、折りたたんだスーツの中に銃を隠したり、とにかく銃を持ち込むのにそう苦労することはなかった。そうすると手順的には後は勇気を奮い立たせてキャビンアテンダントを脅しつけるだけだから、場合によっては仕事の面接を受けに行くよりお手軽な自己実現手段となりえてしまう。
航空会社はそんな状況を一向に改善しなかった。1週間のうちに20件以上のハイジャックが起きることさえあった「大ハイジャック時代」に「厳重な検査なんかしたらハイジャック犯に好きなようにさせるよりコストがかかるから」という理由で野放しにしていたのだ。乗っ取られた機体と乗客をアメリカに取り戻すのにかかる費用は、全てのコストを加えてもせいぜい2万ドルといったところだ。それに乗客は警備官にポケットの中身を出せと言われたらもう飛行機に乗らなくなってしまう可能性さえある。
対策の後に起こったこと
ところが原子炉に飛び込むことを示唆する犯人まで出てきて、遂に航空会社も乗客全員への保安検査に反対することができなくなる。本格的な金属探知機、X線検査機の導入により、状況は次第に改善され、1991年からの9年間、アメリカ領空では1機の民間機も乗っ取られなかった。しかしそんな平和な状況が長く続いた後、航空会社は安全対策を高価な金食い虫だと捉えるようになる。警備の契約はばかばかしいほど低い額で入札した、杜撰な対応を行う民間会社と結ばれるようになった。2000年には、空港警備官の平均年俸はたったの1万2000ドルだったという。
航空会社は1960年代のハイジャック対策のアップデートを検討することもなく、依然としてハイジャック犯に完全に協力するように指導していた。乗っ取られた時にすることはまず犯人の要求、身代金の額などを地上の役員と交渉しやすいようにつないでやることで、それ以上でもそれ以下でもないのだと。『要職にある誰一人として、ハイジャック犯が人質を交渉材料に使おうとしないシナリオが存在するとは想像すらしていなかった』その結果、あの事件が起こった。
人は過去を忘れてしまうものだ。過去の人間が痛い目をみてつくったルールは、時間が経つうちに「ただ形だけ守っていればいいルール」になってしまい、「なぜそんなルールがつくられたのか」を誰も考えず、その検証を怠るようになってしまう。もちろん、短期的には検証なんて面倒なことをしなくても、何も起こらないのだから、無駄なことだ。
しかし、いつかなにかが起こる。本書はその単純な事実を、思い起こさせてくれる。