バタリーケージ、クレート、ソウ・ストール。これらの言葉の意味を読者の皆様はご存じだったでしょうか。
バタリーケージとはブロイラー用のケージで、1羽あたりの面積はA4用紙1枚ほど。卵を集めやすくするために金網の床は傾斜しています。
クレートは子牛用の狭い檻で、子牛は向きを変えることも、体を伸ばすことも、横たわることもできないまま半年を過ごし、「柔らかく白い子牛肉」となって出荷されます。
ソウ・ストールは妊娠した雌豚用の、狭い檻で、豚は出産までの4カ月間、自らの排泄物がたまった床からわずか10センチ上のすの子状の床の上で、立ったり座ったりすることしかできません。家畜は、EUでは1997年になってようやく「繊細な感覚を持つ存在」だと認められましたが、その大半は今もこのような檻に閉じ込められています。
著者は、慈善団体、コンパッション・イン・ワールド・ファーミング(世界の家畜に思いやりを)のメンバーとして、長年にわたって畜産動物の福祉の向上に尽力してきました。もっとも、本書は肉食に反対するものでも、菜食を説くものでもありません。動物の命を食することは避けられないとしても、このわずか50年の間に密やかに進んできた農業の工業化のせいで、家畜の扱いがあまりにも「いびつ」になっていることを知ってほしい、考えてほしいというのが、その第一の主張です。
「毎年、世界全体で700億頭もの家畜が生産されているが、そのうち3分の2は工場式畜産によるものだ。家畜たちは生涯を通じて屋内で飼育され、機械のように扱われ、自然の限界以上の生産を強要される……それでも人々は、農場とは鶏が駆けまわり、数頭の豚がのんびりと居眠りし、雌牛が満足げに反芻する、健全な場所だと思い込もうとする」と著者は断じます。
もっとも、著者の取り組みは動物への愛情に始まったものだとしても、本書を読み進むうちに、農業の工業化、大規模化の犠牲になっているのは、動物たちだけではないということに気づかされます。その害はすでに地球のあちこちで表出しています。
カリフォルニアでは、大規模農場の上空を除草剤や殺虫剤の雲が覆い、工場式酪農場の周辺では汚水のせいで水道水が飲めなくなりました。心臓病、先天性異常、高血圧、脳卒中、小児喘息が多発しています。ペルーでは魚粉工場の廃水が「生物のいない海」をもたらし、また、大気汚染のせいで子どもたちは皮膚病や喘息に苦しめられています。フランスでは、大規模畜産場の汚水が流れ込み、かつて美しかった海が緑の藻に覆われてしまいました。堆積した藻から生じるメタンガスのせいで、犬や馬、人が死にました。インドでは、さらに信じがたいほどの悲劇が起きています。環境に合わないGM作物の種を購入した小規模農家が破産し、1995年以降、25万人以上の農民が自殺に追い込まれているのです。
これほどの犠牲を地球と動物と人間に強いておきながら、工業型農業は飢えを解消するどころか、むしろ深刻化させています。「このシステムは食べ物を作っているのではなく無駄にしている」のだと著者は看破します。
また、より身近なこととしては、食のサプライ・チェーンが長く複雑になったため、消費者は、「目隠しされてスーパーマーケットの通路を歩くような」状況に陥っており、食品偽装が日常茶飯事となっています。農薬まみれの餌で育ち、抗生剤を大量に投与された家畜の肉をそうと知らずに食べ続けることは、さらに恐ろしく思えます。そして最大の破滅をもたらすのは、抗生剤の濫用がもたらす豚や鶏由来の疫病のパンデミック。それに抗する手段をわたしたちは持っているのでしょうか。
本書の原題は“FARMAGEDDON”(ファーム+ハルマゲドン)、すなわち「農業がもたらす世界の破滅」。最初見た時には、仰々しく思えたのですが、読んでいくうちに、この言葉が現実を的確にとらえていることを痛感しました。ファーマゲドン——それを避けるために、自分に何ができるのか、何をすべきなのか、考え続けたいと思います。
翻訳家・野中 香方子
<画像提供:写真提供:コンパッション・イン・ワールド・ファーミング>