どうしてこの本を手に取ったのだろうか。それは塚本靑史の愛読者であったからだ。父君が超有名な歌人であることは知っていた。しかし僕は短歌や俳句にはほとんど興味がない。それにも関わらず、この本はとても面白かった。実の親子でしか語れない日常生活の卑近な部分が、素直にしかもクールに書かれていて読者の興趣をそそるのだ。
ところで、邦雄はどんな人だったのか。「一番嫌うのは、いつの世においても、皆が皆、疑いもなく右に倣えをする態度であった」。子供のとき、「漢和辞典を引っ繰り返して、難しい時から順番に覚えていた」(邦雄)「こんな奴ゥ、あかんわ」(靑史)。「決して『終戦』とは言わず、意識して『敗戦』なる語を用いた」。ブランド物や名物には興味がなく「自身が気に入った物だけを買ってきた」。短歌に興味を示さずイラストレーターの道に進んだ一人息子(靑史)を、邦雄はどのように思っていたのだろうか。その靑史が小説家を志す。うれしいはずなのに、靑史が自分の作品を見せてアドバイスを求めたら「仕事が山のようにある。そんなときに、おまえの原稿など、いちいち目を通していられるか。面倒くさい」。母が先に死んで邦雄の認知症が進み靑史は実家へ単身赴任する「戻ってきてくれるんやな。ありがたい」。互いに憎まれ口を利き合いながらも、親子の会話を通して邦雄の人柄が浮かび上がってくる。
靑史は「全く興味がないので」邦雄宛ての来信はほとんど読んでいない。邦雄と母慶子の付き合いは交換書簡を調べれば判るだろうが「読みたくもなく、検めることはしない」と言い切る。それら総ては日本現代詩歌文学館に寄贈してあるので、研究者に委ねる、と。むしろ、「私しか書けず伝えなければならないこと」を書く、と。このある意味潔い態度が、この本を面白くしている最大の要因だろう。有名無名の人が邦雄の周囲に集まってくる。寺山修司や有能なマネージャー(個人秘書)政田岑生から怪しげな青年(鯨男)まで。また邦雄が主宰した短歌結社玲瓏をめぐるいざこざも、すべて靑史の目を通して赤裸々に語られる。もちろん、邦雄の人間としての欠点にも一切の容赦はない。全集刊行を巡る書誌学者との諍いにも興味をそそられた。
読み終えて、邦雄がとても身近に感じられるようになったのは、靑史と僕、邦雄と僕の父がほぼ同じ年代であることにもよるかも知れない。靑史は、あちらこちらに、その時代の象徴的な出来事を上手に挿入するので余計そう感じるのだ(もちろん、著名なお2人と比べること自体が僭越極まりないが)。これは、邦雄と靑史、2人の伝記だと強く思った。そして、個性的な靑史の小説が面白い理由の一端が垣間見られた気がした。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。