著者は東京大学教養学部人文地理学科卒で、今も電鉄会社に勤めるサラリーマン。本書が初めての著書だという。東大卒の知り合いに、「教養学部人文地理学科」に進むのって、どんな人だろう? と聞いてみると、「こだわり派の変わり者かなぁ」という答えが返って来た。たしかに本書のテーマはマニアックだし、内容の細部へのこだわりはスゴイ。なにしろ、史料を徹底的に調べて、昭和11年7月〜13年6月まで、わずか2年弱の間、プロ野球の舞台となった幻の球場の完全再現を試みているのだ。
その球場の名は洲崎球場。洲崎は東京の木場から東陽町あたりのいわゆる海抜ゼロメートル地帯で、かつては吉原と並ぶ歓楽街。映画ファンには川島雄三の『洲崎パラダイス赤信号』がまず思い浮かぶだろう。昭和4年の統計によると、遊郭には2329人の娼妓がおり、1日に3760人がやって来た。「男にはパラダイス」「娼妓にとっては四方を水で囲まれた苦海」である。
そんな調子で洲崎周辺を紹介する第1章の文章がまず実にいい。さすが「人文地理学科」の面目躍如である。いまや定番ジャンルとなった「散歩&地図」系の本として、素晴らしい本になりそうな予感で読み進めると、2章以降、雰囲気ががらりと変わる。冒頭に書いたように、プロ野球黎明期の歴史を踏まえつつ、洲崎球場とそこで行われた試合を、それこそ観客の熱気まで含め、克明に再現しようと試みるのだ。
洲崎は、いわば「いかがわしい」雰囲気を持つ地域と言ってよいが、実は黎明期のプロ野球もほどよく「いかがわしい」。人気はなにより大学野球にあり、職業野球人は、「金のために野球をする」と蔑まれ、見世物をする芸人のような扱いだった。実際、選手たちには無頼の雰囲気がある。例えば洲崎球場を本拠地とした東京セネターズの合宿所はボロボロの平屋。汚れたユニフォームやバットなどが散らばる、万年床の汚部屋で、選手たちは麻雀に明け暮れていた。本書にはプロ野球のアメリカ遠征の様子も活写されているが、安ホテルへの滞在と過酷な長距離移動で、時に一日2試合をこなしている。カネになるならどんなチームとも試合し、稼いでいくさまは、むしろプロレス武者修行を思わせるようで、スポーツの試合というより、「興行」という言葉がしっくり来る。考えてみれば、プロ野球を牽引した正力松太郎の読売新聞のウリは、なんといっても「エロ・グロ・ナンセンス」。きわどいゴシップにあふれた新聞と、当時のプロ野球の雰囲気は合致するのだろう。
そもそも洲崎球場建設の立役者の一人は、崎弁天町に広大な屋敷を持ち、洲崎の殿様と呼ばれた総会屋にして博徒の武部申策である(勝新太郎と若山富三郎の祖父でもある)。洲崎球場完成後に作られた「大東京軍(セネターズのこと、この頃、すでに英語名は使えなくなっていた)」の大応援団も、武部が咬んでいたゆえか、地元の旦那衆と着物姿の姐さん風の女性たちで占められ、独特の風情を球場にもたらしていたという。
いかがわしさやいいかげんさは、洲崎球場の建設の際にも発揮される。大東京軍のオーナーだった国民新聞は、紙面に大々的に「豪華な”大東京球場”」「観覧席は内野8千、外野2万2千の合計3万人」「最新式の夜間照明施設」などと報じているが、完成したのは、粗末な木造バラックの、とんでもないおんぼろ球場だったのだ。
球場の周囲はトタン板に囲まれ、地盤が悪すぎて杭打ちができず、内野スタンドはただ地面に置いてあるだけ。満員になるとギシギシと唸って今にも壊れそうだったという。席は杉板に直接座る方式。お尻が痛いので、球団は1枚5円で座布団を貸し出した(沢村栄治がノーヒットノーランを達成した際、その座布団が球場いっぱいに舞うことになる)。ちなみ外野スタンドは竣工時には未完成で、その後、木組みに板を敷いただけのものが作られている。もちろん3万人収容は嘘っぱち。実際には1万人程度だった。人気のある試合では、球場に入りきれない人たちが、球場周囲の松の木、電信柱、貯水池に浮かぶ材木の上などから観戦し、それもまた洲崎名物だったという。
そして球場の海抜はわずか60センチ。グラウンドは海水でぬかるんだ。洲崎球場での試合のスコアブックには、「キャッチャーゴロ」の記述が多い。すなわち、ボールが泥水にハマって止まってしまい、内野まで飛ばないのだ。スタンドにはカニが歩き、冷たい海風が吹きつけた。しかし林芙美子はそれを風情とも捉えていたようで「スタンドまでぽっぽ船の声が聞こえて、これでグラウンドさせよければ、なかなか愉しい球場だと思った」と書いている。
球場がこうだと、助っ人までいいかげんになるのか。大東京軍のジミー・ボンナなる日本プロ野球初の黒人選手は、「来日直前は1試合23奪三振で完封。豪速球のため「ガン・ボンナ」と呼ばれ、打率はタイ・カップを少し下回るというものすごい選手」(もうこの記述だけでいんちき臭いが)という触れ込みだったが、いざ投げるとヒョロヒョロのスローボール。スタンドはざわつき、バックネット裏の大東京軍幹部の顔からは血の気が失せたという。打撃はなかなかのものだったらしいが、やがてアメリカに帰国し、その後の行方は知れない。ちなみに大東京軍の監督・小西得郎は小西行長の末裔、ロシア留学中にトルストイと数年間同居し、スターリンとも親交を結んでいたという。なんだかよくわからないが、ものすごい個性派ぞろいの球団、というわけだ。
本書の白眉は、洲崎球場の歴史的な戦い、例えば沢村栄治のノーヒットノーランや川上哲治や「花の13年組」の活躍、伝統の巨人阪神戦の始まりを再現した部分であろだろう(それは実際に本書を読んで堪能していただきたい)。とはいえ、私が何より惹きつけられるのは、こうした黎明期プロ野球のいいかげんさと猥雑なエネルギーだ。それを実に生き生きと再現してみせた著者に敬意を表したい。