『氏か育ちか』というのは、生物を語る上で永遠の課題だ。もうすこし学問的な言い方をすると、遺伝素因と環境要因、どちらが重要か、ということになる。食べ物、生活場所、育てられ方、教育、人間関係、などなど、多彩な環境要因をすべて知るということは不可能だ。
一方で、分子生物学の進歩は、遺伝情報というものを、遺伝素因といったあいまいな言い方ではなく、ゲノムという形で提示することが可能になった。DNAはA(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)、T(チミン)という4つの塩基がつらなったものである。この4つの塩基が60億個ならんだものがゲノム、すなわち全遺伝情報だ。個人間における遺伝情報の違いは、わずか0.1%ほどにしかすぎない。しかし、その違いが、背の高さ、眼の色、顔立ち、知能、ある病気への罹りやすさ、そして運動能力など、さまざまな形質に影響をあたえるのだ。
もちろん、それぞれの形質によって遺伝素因の強い形質もあれば弱い形質もある。眼の色などは、ほとんど遺伝で決定されるし、身長はおおよそ8割が遺伝素因といわれている。さて、運動能力にはどれくらい遺伝が影響するのだろうか、というのがこの本の内容だ。
遺伝がまったく関係ない、と考える人はいないだろう。バスケットボールやバレーボールなどは背丈が高い方が明らかに有利であるし、その遺伝素因は8割とかなり大きいのだ。では、遺伝だけで決まるかというとそんなはずもない。いくら背が高くても練習しなければ一流のスポーツ選手になれはしない。
努力も必要なのである。スポーツや芸術で一流になるには、一万時間のトレーニングが必要である、という神話のような説がある。もちろん個人差はあるけれど、おおよそ一万時間がんばれば一流の技を身につけられるというのだ。しかし、一万時間やれば誰もが一流になれるという訳ではない。一万時間といえば、1日4時間として2500日、7年近くもトレーニングを続けなければならない。あるスポーツを始めたとしよう。まったく才能がなさそうな気がしたら、1日何時間もの練習などできはしまい。やっぱり先天的な向き不向き、いいかえると、氏=遺伝素因、が必要だ。
その上、どうも、なにかを続けるということにも遺伝素因がありそうなのだ。ヒトは知能がありすぎていろいろな心理的影響をうけてしまうし、交配実験をするわけにはいかないので、そういったことを確かめるのは難しい。しかし、犬ならできる。犬ぞりを引くハスキー犬は、走力も大事だけれど、走るのが好きでいつまでも喜んで走り続ける能力こそが望ましい。そのような性質の犬を交配すると、走るのが好き、いわば、努力をしつづける犬をつくりだすことができる。
ケニアの高地ではマラソンの優れた選手が多数輩出することが知られている。その地域に特有な遺伝的素因もあるとはされているが、それだけではない。学校が遠いので、毎日何キロも走って通学する、といった努力、必要にせまられた努力だが、も必要なのである。それも遺伝かというと、そうではないらしい。マラソンで名をなした選手は経済的に豊かになって都市に住むようになる。その子供は走ることを強いられないためか、マラソン選手になることは希らしい。やっぱり環境そのものも大事なのだ。
どないやっちゅうねん!堂々巡りやないか。そうなのである。この本の結論もひとことでいえばそういうこと、すなわち、氏も育ちも必要だ、ということになる。なぁんだと言うなかれ。その結論にいたるまで、さまざまなスポーツにおける実に多彩なエピソードが語られていく。こういった本は、ともすれば、個別のトピックスのばらばらな紹介になりがちなのであるが、この本はちがう。しりとりのように、あるいは、チェーンスモーキングのように、なめらかに次々と展開されていく。
トレーニングが必要とはいえ、遺伝素因も確実にあるのだから、あるスポーツに向くと思われる遺伝子を持った子供に、小さい頃からそのスポーツに特化した練習をさせれば効率的という考え方も当然なりたつ。が、ことはそう単純ではないらしい。ひとつのスポーツに集中させることが、そのスポーツを極めるために有効なのか、いろいろなスポーツをさせておいたほうが有効なのか、がわかっていないのだ。
その本を読めば、ある領域のことがほとんどわかるというノンフィクションは最高の一冊だ。この本は、スポーツと遺伝の関係についてのそのような一冊だ。しかし、この本の賞味期間はどれくらいあるだろう。とりわけ、ゲノム解析の技術は日進月歩である。かつては三千億円もかかったパーソナルゲノムの解析が、数年内には千ドル、十万円そこそこでおこなえるようになる。そうなると、膨大な遺伝情報が蓄積して、スポーツと遺伝の関係もわかるようになるのではないかという気がする。
しかし、この本の著者はそのような考え方に対して否定的だ。60億の塩基配列の中に、遺伝子-DNAの情報がタンパクにまで翻訳されて機能するようになるという意味での遺伝子-は2万2~3千個もあることが知られている。有限とはいえ膨大な数の遺伝子の『変異』の総和がどのようにして影響を与え合うかを知るのは不可能であるというのだ。もしほんとうにそうならば、スポーツにおける氏か育ちか問題は永遠に決着はつかないだろう。
専門的な記述がすぐれているだけでなく、小ネタもおもろい。マイケル・ジョーダンらと共にシカゴ・ブルズの黄金期を支えたデニス・ロッドマン。窃盗をはたらくような単なる不良だったのが、高校を卒業して二年もたってから、にょきにょきと背が高くなり、あれよあれよという間にバスケットボールがうまくなったらしい。
他にも、性染色体や男性ホルモンと性決定の問題や、エリスロポエチン(赤血球を造るためのホルモン)の受容体に異常があるために、生まれつき赤血球が多くて、生まれつきドーピングをしたような状態になっている家系といった、医学的にむちゃおもろい話。ほかにも、瞬発力が必要なのに持久力をつけるような練習が幅を利かせているスポーツや、足の速い子がそのためにダメになっていくスポーツがあるとかいうスポーツ的おもろい話も。
大学時代は800メートル走の選手であり、大学院では環境とジャーナリズムを学んだ著者のデイヴィッド・エプスタイン、渾身の一作だ。文章もうまいがプレゼンもうまい。『アスリート達は本当により速く、強くなっているのだろうか?』と題された、180万ビューもいっているTED、興味ある人はぜひ見てもらいたい。(日本語訳付きです)
氏か育ちか問題は、スポーツだけに限らず、知能や個人の社会性、あるいは、芸術的才能などにもおよぶものである。自分のことやいやな奴の性格を「血ぃやからしゃぁないな(=遺伝だからしかたないじゃん)」などと言って片付けてしまう前に、ぜひこの本を読んでみてほしい。きっと、『遺伝』というものに対する考え方が大きくかわるはずだ。
元ラグビー日本代表の平尾剛(誠二ではありません、念のため)が、遺伝子とはまったく別の側面からスポーツを語る。トップアスリートのしなやかな思考がスポーツ心をほぐしてくれます。
そこまできてる1000ドルゲノムの時代。絶対に読んで損はありません!
遺伝学ってわからない、という人に最適の一冊。これを読むだけで、必要にして十分な知識を得ることができます。