西アフリカで猛威を奮うエボラ出血熱はアメリカ本土での感染者も現れ、一層の拡大が憂慮されている。本書『ホット・ゾーン』は1994年に刊行。いつか迫り来るであろう遠方の脅威としてではなく、まるで肉声が聞こえてくるかのようなナラティブな手法でエボラの獰猛さを最前線から伝えた。
そして2014年、過去最大のアウトブレークを迎え、新装版の刊行が急遽決定する。著者・リチャード・プレストンは今、何を思うのか? 新装版に向けて書いた追記を、HONZにて特別先行公開いたします。(※現段階で単行本未収録)
この文章を書いているあいだも、エボラ・ウイルスは西アフリカの人々のあいだで猛威を振るっている。2014年のエボラ・アウトブレークは、エイズを発症させるHIVウイルスが1980年代初期に地球的規模で出現して以来、新興感染症としては最も爆発的な最悪のアウトブレークとなった。
エボラ・ウイルスが最初に確認されたのは、1976年、ザイール(現コンゴ民主共和国)のエボラ川に近いヤンブク村の小さな病院で、出血熱の患者が何人も死亡したときだった。それ以後、エボラ・ウイルスは赤道アフリカの僻地で、小規模のアウトブレークを20数回引き起こした。
いずれの場合も犠牲者は比較的少数で、多くてもせいぜい数百人程度だった。どのケースでも、ウイルスはしばらくすると衰えて、姿を消していったのである。ウイルスは、その拡大を食い止める方法をなんとか編みだした医師や医療従事者の手で阻止されたのだ。その威力があまりに破壊的だったため、犠牲者は多くの人にウイルスを感染させる暇もないうちに死亡してしまったという事情もある。その結果、医学界においてすら、エボラは人類にとってたいした脅威ではない、という見方が広がった。
とんでもない間違いだった。
ひとたびエボラがアフリカの大都市で発生しようものなら、燎原の火のように拡大してしまう。その事実をだれもが見逃した結果、エボラは驚くべき破壊力で人間界を席巻することになってしまったのである。この文章を書いているいま、エボラをくいとめ得る可能性、その方法について、はっきりした見通しを示せる人間はだれもいない。
いずれにしろ、エボラは長いあいだ、何よりもむごたらしく恐ろしい病気を人類に与えるウイルスの一つと見なされてきた。現在、エボラの種類としては、その最も近しい親類とも言うべきマールブルグ・ウイルスと並んで、5つの種が知られている。いずれの種のウイルスも、ふだんは赤道アフリカの森林やサヴァンナに棲む未知の自然宿主の体内で、何事もなく静かに暮らしている。
エボラの自然宿主、つまり、エボラがふだん棲みついている動物は、コウモリの一種類かもしれない。もしくは、コウモリの体に巣食っている微小な昆虫やダニかもしれないし、それ以外の、まだだれも思いつかないような生き物かもしれない。
正確なところはだれにもわからない。そしてときどき、なんらかの理由でエボラ・ウイルスは自然宿主から飛びだして、人間にとりつく。その人間はまた別の人間にウイルスを感染させる。かくしてエボラのアウトブレークがはじまるのだ。
エボラは、汗、糞便、吐瀉物、唾液、尿、血液等に直接触れることで感染する。エボラに感染した病人はたいてい、それらの体液を抑えようもなく、ときとして大量に、排出する。出血するケースも、全体の半数程度ある。大出血する場合もままあるが、ごく微量の出血にとどまる場合もある。目蓋のふちにぽつんと一滴生じた血が、感染を物語ることもあり得るのだ。
内出血する場合もあるが、血のまじった吐瀉物や下血でしかそれを認知することはできない。それらの体液に素手で触れたり、素肌でそれに触れた人間は等しく感染の危険を負う――そして、エボラ・ウイルスの感染力は途方もなく大きいのだ。
エボラ・ウイルスの粒子がほんの一個人間の血流に入っただけで、致命的な感染を引き起こす。(それと比較すると、HIVの感染力はエボラよりもずっと弱い。HIVウイルスの粒子一万個ほどが人の血流に入って初めて、その人物はHIVに感染するのだから)。いまのところ、エボラに効くとはっきり認証された治療薬も存在しないし、効果が立証されたワクチンも存在しない。
実験室でエボラを扱う研究者は、常に全身を覆う与圧防護服を着る。実験室は、化学消毒液のシャワーを備えたエアロック(気圧調整気密室)の奥に隔離されている。この種の実験室は、危険なエボラに直接触れる可能性があるため、“ホット・ゾーン”と呼ばれている。
現在、西アフリカでは至るところにホット・ゾーンが存在する。それは目に見えず、拡散していて、死に直結する。ホット・ゾーンは、エボラに感染した赤子を介護する母親の腕の中にある。ホット・ゾーンは、瀕死の家族を助けようと必死につとめる人々の住む質素な家の中にある。そしてそれは、リベリアの首都モンロビアの汚れた路上で、遠巻きにする人々に見守られながらうつ伏せに倒れている若者の周囲にある。
何よりも、エボラ・ウイルスは人類にとっての大災害であり、怪物であり、暗黒の寄生体だ。それは無意識、無感覚のうちに人間の体内で執拗に自らのコピーをつくりつづけて耐え難い苦しみを生みだす。いまやエボラの出現した町や地域は、ちょうどペストに苦しんだ中世の町のような相貌を呈しかねない。
いま、エボラを克服するためには、この人類の敵と渉り合える潤沢な資金と資源を持つ先進諸国に率いられた、地球規模の強力な努力が不可欠だ。これだけは肝に銘じておこう。エボラは全人類の敵なのである。もしこのウイルスが人間のあいだを渡り歩きながら変身をとげ、恐ろしい突然変異をくり返したら、それこそバングラデシュからビバリー・ヒルズまで、地球のいかなる場所にも移動し得る能力を身につけることだろう。
この本はナラティヴ(物語風の)・ノンフィクションである。ひとことで言えば、実話、ということになる。登場人物はすべて実在する。語られている事件も事実であって、わたしは自分の能力の限りを尽くしてその裏付けをとり、可能な限り正確に記録した。
ノンフィクションのライターとして、わたしは相当量の時間をかけて作中にとりあげる人々と付き合う。そして彼らの人柄を物語るさまざまなことを頭に入れる。彼らの日頃の習慣、仕事の流儀、顔かたち、声の響き、好きな人や嫌いな人、日頃どんなものを食べているか。そして、夜にはどんな夢を見るかまで。彼らの人生の決定的な瞬間にどんなことを考えていたか、詳しく問いただすこともある。この最後の手法によって、小説的な内面の想念、そのとき当人の頭に浮かんでいる思いをノンフィクション風に再現することができた。
たとえば、防護服を着たナンシー・ジャックス中佐が化学消毒液のシャワーを浴びながら、エボラに侵されたサルの血が防護服内に入り込んだかどうか必死に考える描写などは、すべて本人と会って事実の裏付けをとってある。ナンシー・ジャックスの場合、彼女はわたしの文章をつぶさに読んでチェックし、こまかい訂正をいくつもしてくれた。それによって、自分はエボラのために死ぬかもしれないと彼女が考えたとき、その胸に去来していた思いを、わたしは可能な限り彼女の記憶に忠実に再現することができたのである。
結局のところ、われわれ人間は、無限とも思われる宇宙の豪華なつづれ織りの、ほんの些細な一部としてのみ存在している。自然の壮大な空間の中にあっては、われわれは何物でもない。われわれは、つづれ織りの中の、ほとんど目に見えない糸くずにすぎないのだ。
自然を支配しようとするわれわれの努力と闘いは、ときに悲壮にも、自己中心的にも見える。英雄的に見えることもあれば、勘違いも同然に見えることもある。それでも、わたしのすべての作品の主題は人間であり、人間と自然との関係であり、われわれの闘いと苦しみと幸福であり、われわれの人生を貫く共通の諸要素だ。一つの生物種としての人間は書かれるべき存在だし、どの人間の人生も語るに値する物語だ。そう思って、わたしはいつも書いている。
2014年9月18日 プリンストンにて
(※翻訳・高見 浩)
リチャード・プレストン 1954年、米マサチューセッツ州生まれ。プリンストン大学で英文学の博士号を取得。94年発表の本書『ホット・ゾーン』が世界的な大ベストセラーになり、ノンフィクションライターとしての評価を確立。科学・医学分野の正確で分かりやすい記述に定評がある。