『死者を弔うということ』by 出口 治明
生前から、死体を「有機物」と呼んでいた実直な無神論者の父(著者、サラはファと呼んでいた)が、癌との闘いを終えて旅立った後に残された手紙には「遺灰は旧友たちが眠るドーセットの村の教会の墓地に」と書かれていた。サラはとまどう。死んだ後はたんなる「有機物」と言い切っていたファが、なぜ最後の通過儀礼のようなものを重要と考えるに至ったのか。生と死の絆の意味を求めて、世界を転々としてきた国際ジャーナリストのサラは葬送のかたちを訪ねる旅に出る。
スタートは、イランのアシュラ。フサインの殉教を嘆く男たちの涙。(女たちには涙の壺がある。)涙を流すことの効用が語られる。ルスタム(ロスタム)とソーラブ(ソフラーブ)の戦いのように、イランには喪失の悲しみの伝統があるのだ。そして、次はバリ島とバラナシの火葬(炎の陶酔)。シチリアのカタコンベには八千体を超えるミイラ化した遺体が吊り下げられている。サラは、遺体の修復技術であるエンバーミングを思い出さずにはいられない。
一転してガーナの夢みる棺。人々は生前に自分の夢を託した華やかな棺を発注する。サラは大好きなエンパイアステートビルの棺を発注してニューヨークの自宅に飾るのだ。香港では先祖のために大量に紙の供物を焼くが、一番人気はお金である(通用冥幣)。サラは始皇帝の墓を連想する。フィリピンのサガダでは、棺は岸壁にぶら下げられる。サガダで通夜に行ったサラは、死と共同体の関係についてユダヤ教徒の「シヴァ」に思いを巡らせる。
旅を重ねるサラは、常にファを想い出す。「人は生まれ、生き、そして死ぬ」と書いたファを。異国(カルカッタ)の片隅に眠るイングランドの若い女性(23才だった)。遺体を本国に送還しないと決めたCWGC(コモンウェルス戦没者委員会)。サラの慧眼は、国際化時代における遺体送還ビジネスをも見逃すことはない。それから母とサラがファの遺灰を撒く日がやってくる。「くすんだ白い煙となった父の遺灰が、澄んだドーセットの空へと素早い流れの渦になって消えてゆく様子は、何やら壮観な美しさがあった」。しかし、まだサラの旅は終わらない。
クトナー・ホラ(チェコ)の近郊に建つボヘミア墓地教会。骨また骨の中で、サラは骨が持つ意味を考える。そして、聖遺物収集家のフェリペ2世にたどり着く。次いでオアハカ(メキシコ)のにぎやかな祭壇で、サラは自分で撮った父の写真と再会する。今日は死者の日なのだ。サラは、中世のトランジ(死骸像)や「死の舞踏」を想起する。サラの世界(空間)を巡る旅は、同時に時間(過去、歴史)を巡る旅でもあったのだ。そして、サラは答を見つけることができたのだろうか。
火葬より水葬(アルカリ加水分解)の方が環境にはやさしいのではないかとサラは考えているが(ガーナで作った棺はどうするのだろう)、サラは「自分の遺灰を運んでいってもらいたい目的地を6カ所考えた」。エンパイアステートビル、バラナシ、サガダ、オアハカ、パキスタン北部のフンザヴァレー(ヒマラヤのドラマチックな光景)、ドーセット(ファの丘)。サラはこう結ぶ。
「かつて愛した場所に自分の一部がたどり着くのはもちろんうれしいけれど、それ以上のものがある。私が本当に喜びを感じるのは、私の遺灰が(それを運ぶ)ほかの誰かにとって新しい冒険のきっかけになるかもしれないということ」
「たとえ電源のスイッチが切れた後でも、少しだけまだ電気の火花を散らすことができるかもしれないという考え方。私はこのことをもって、命をつなぐことなのだと考えたい」
サラは、父の死を契機とした旅路の終りに、確かな答を得たようだ。人は次の世代のために生きているのだから、サラの解決法は心に泌みた。「身体巡礼(養老孟司)」という面白い本があるが、本書がより響くのは、きっとサラとファの心の交流が途切れないからだろう。サラはファと2人で旅をしたのだ。
ファの遺志に従い葬礼を行わなかった母とサラと妹はクリスマスが過ぎたところで、父の死去を知らせる手紙を発送した。「父の誕生日(1月15日)の夕方6時に、父の冥福を祈ってグラスを上げてほしい」と。何というすばらしい家族だろうか。その家族のすばらしい生と死の物語がここにある。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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