『革命キューバの民族誌』理想と現実の狭間から見える新しい生き方

2014年8月26日 印刷向け表示
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革命キューバの民族誌: 非常な日常を生きる人びと

作者:田沼 幸子
出版社:人文書院
発売日:2014-03-13
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キューバを賞賛し理想的な未来を託す人たちは高度で無料な医療や教育、英雄チェ・ゲバラやフィデル・カストロを語る。一方で、キューバに怪訝な印象を持ったり、近代化の遅れを叱責する人たちは、旧ソ連及び社会主義陣営解体後の悲惨な経済状況、サトウキビの生産に頼った産業、左翼の理想郷として語る。中立的なところでは、オリンピックでメダル常連の野球、大リーグにも選手を数多く排出している。

しかし、あの世界中を震撼させた革命、その後に目指した理想的な国家と「新しい人間」としての国民のあるべき姿はどうなったのか。キューバ革命は国外では神話化し、様々なメディアや本で繰り返し語られ、革新的なイメージが複製されている。だが、革命後に起こった数々の動乱を乗り越え、理想に裏切られ現実を生きるキューバの中の人は、今、どんな生活をし、何を考えているのだろうか。社会主義体制や革命の英雄たちについてどう考え、日常的に語らっているかを丁寧に拾い集めた本書は、キューバのいまを生きる人びとの民族誌であり、キューバの再評価を射程にいれた本である。

キューバが歴史に登場するのはコロンブスによって発見された1492年である。その後、数十年で先住民は絶滅し、早々に植民地化され、スペイン人と黒人奴隷、その混血の住民で構成されていった。1900年前後に、アメリカに依存する政治経済体制となり、グローバルな市場経済に取り込まれた。

世界にその名を轟かせたのは、1959年。2年前に、メキシコからおんぼろボートに乗り込み、上陸できた12名の若者により革命を成し遂げた。ゲバラはカウンター・カルチャーのアイコンになり、世界中の若者が憧れた。ジョン・レノンは「あのころ世界で一番かっこいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と言った。

資本主義のオルタナティブな社会を希求していた他の発展途上諸国からは、キューバの革命政権が国家の未来像として映った。革命を支持するキューバ国民は他人に奉仕する「新しい人間」としての理想を内面化し、それに従って行動した。そして、貨幣を介さずとも基本的な衣食住には困らない生活ができるささやかなユートピアの時代が訪れた。しかし、ソ連崩壊とともに楽園はあっけなく崩壊した。

こうしたロマンや希望も無邪気な幻想だったと、過去に学び、現代を生きる私たちには理解できる。しかし、キューバはなくなったわけではなく、そこには今もそのロマンの延長線上に生きている人たちがいる。

本書はソ連崩壊と同時に「平和時の非常期間」と政府によって名づけられてから、約10年が経過した1999年からの調査をもとにしている。キューバの人々は、突如、経済的な困窮に襲われた。食糧が不足し、長時間の停電が通常化し、水道も利用できなくなった。道ばたからは猫が消えたとも言われた。また、米ドルを所持するだけで投獄された過去が嘘かのように、米ドルが流通している二重経済が定着した。現地通貨のペソでは手に入れることができないものが手に入るドルショップが町のあちこちにできはじめ、短期間で状況が変化し、生きる人々自身が戸惑う場であり、時代であった。

1998年の公務員の月給は、

秘書:171ペソ(8.5ドル)
内科医(救急): 425ペソ(21.5ドル)
年金:190ペソ(9.5ドル)

で食べることにも事欠く金額だった。禁止されていた副業は一部解禁され、政策は一貫性を完全に失っていく。政府の所有する工場や商店から盗んだ品がブラックマーケットに並ぶ(個人からの盗みはしない)。革命政権下では非合法だった商取引が合法化された。女性は観光客相手に、デートや性交渉を提案し、生計を立てていた。従来の規範は打ち破られ、合法/非合法の境界線上で恥を捨てた人たちにより、積極的に経済活動が行われた。「非常期間なりの資本主義」がはじまっていた。

しかし、著者が調査対象とした仲間は、「新しい人間」像を内面化し、商売に積極的に手を染めることはなかった。だからといって革命の神話に従順だったわけでもない。自分自身の専門性を活かすも報いの少ない公務員の仕事をこなし、身の回りの矛盾に気づきながらも、その他の経済活動を注意深くコントロールし、身を削りながら自尊心を保っていた。

だが、10年以上続く非常期間が終わりを告げる見込みは見えず、人々は革命の理想と、現実とのズレを用いてアイロニカルな冗談を言うことで、日々の生活をやり過ごしていった。

「あぁ、もし、チェが今のキューバを見たら」
「墓の中でもだえるだろうね」
「そして、もう一度死んでしまうだろうね」

他にも鋭く的をついた突っ込みや笑いがわき上がるアイロニーが多々あり紹介したいのだが、それは本書を買って楽しんでほしい。

しかし、アイロニーをこぼしていても現実は変わらない。未来が見えない中で、焦りが募りはじめた若者たちは祖国を離れることを決意していく。そして、著者は移住した彼らの語りを記録するためのドキュメンタリーの製作を開始する。

著者が調査した若者の半数は、当初は革命の理想の後継者となるべく期待された党の青年組織に属していた。子どもの頃から「チェのような人間になれ」と教えられ、社会主義の理想を刷り込まれた人々が、資本主義社会の中に無謀にも飛び込んで、戸惑う姿は既定路線ではある。しかし、彼らは移住先の国とキューバと、全く異なる2つのものさしを手に入れることで、自分なりの幸せをつくりだしていく。

息子がすべての喜びを与えてくれる。子どもができると、何が一番大事か分かる。他のことは対して重要じゃない。

何かをして間違える自由があり、したいことができないことを誰かのせいにせずに済むことに幸せに思う

彼らは憧れの革命家の姿を胸に秘めて、バラバラになった移住先で、孤独を感じながらも、力強く個人の生き方と幸せを探求している。
 

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