内田樹さんの著書の解説を執筆するという大仕事を前にして、僕はいま、些かのためらいを感じている。書こうと思うことは確かにあるが、いざ書きだそうとすると、同じことが〝内田樹の文体〟で、もっとはるかに明晰に、理路整然とした言葉で語られるのが、どこからともなく聴こえてきてしまうのだ。それでなかなか、書き出せない。
内田さんの言葉は、いつでも身体を目がけて語られる。僕の身体はいま、その言葉に射ぬかれている。
内田さんが言葉を使って無数の身体を一挙に変容させる様を、間近で目撃したことがある。僕自身も何度か参加をさせていただいている合気道の稽古のときに、内田さんが一言発すると、それだけで門下生数十人の動きが、一斉に変わるのだ。
たとえば、腕をまっすぐ伸ばして相手を制する動作をするとき、「軒下から手をそっと差し出して、小雨が降りだしたかどうかを手のひらで確かめるかのように」と内田さんが言う。するとその一言で、全員の動きが見事に変わるのだ。精密に分節化された身体語彙によって、内田さんはまるで魔法のように、複数の身体を統御する。
内田樹の文体は、このような地道な身体的稽古の、気の遠くなるような積み重ねの中で、磨かれ、錬りあげられてきたものである。その言葉はいつも、「正しいこと」よりも「生きる力を高めること」を目指して発せられる。
集団としての生きる力を高める理法を「倫理」と呼ぶことにするならば、内田さんの論理には、それを支える確固とした倫理がある。
内田樹という書き手に、これだけたくさんの読者が夢中になるのも、言葉にはそれを裏付ける身体があり、論理にはそれを支える倫理があり、理屈にはそれに釣り合う実感があるべきはずだという読者の思いに、内田さんが確かに応えてくれるからだろう。
逆に、言葉が身体を見失い、論理が倫理を忘却し、理屈が実感を放り出してしまうとき、そこに「呪い」が巣食い始める。
忘れられやすいことですが、呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは抽象的で、一般的で、反復的です。それが記号的ということです。
藁人形に五寸釘を打ち込む呪いの儀式が、生身の人間の心臓ではなく、代替物である藁人形を目がけることではじめて機能するように、「『呪い』は、その本質からして、記号的なもの」(本書57頁)である。その記号の抑制を担保しているのが、具体的、個別的、一回的な「身体」だ。その「身体による限界づけ」を失ったとき、記号は過剰に氾濫し、抑制の効かない呪いが機能しはじめる。
多くの人がいまの時代に漠然と感じている身体的な違和感を、内田さんは「呪い」というキーワードで、見事に分節してみせたのだ。
身体は精妙に、記号的に分節されている。だからこそ、身体語彙が豊富な人ほど、そうでない人間にくらべて、それを自在に統御できる可能性を持っている。武道家内田樹は、「呪い」という言葉で、時代の身体を分節し、その上で「呪い」を「祝福」に反転する契機を、淡々と窺っているように見える。こうして内田樹は、記号でもって記号の過剰に立ち向かう。身体のない記号は貧しいが、記号のない身体もまた、使い物にならない代物だからである。
言葉よりも身体を、論理よりも倫理を、理屈よりも実感を求めるだけならば、それほど難しいことではない。しかし、内田樹は、身体を求めて言葉に至り、倫理を深めて論理に出会い、実感を掘り下げて理屈を造型してしまった人である。だからこそ、その抑制の効いた言葉と論理と理屈とに、読者は「祝福」されるのだ。
『ためらいの倫理学』という象徴的なタイトルで、21世紀の冒頭に「内田樹」というエシカルな書き手が登場したことの意味は深い。数学の世界に多少なりとも首を突っ込んでいる僕のような人間から見ると、20世紀はまさに論理の時代であり、記号の時代であり、理屈の時代であったからだ。
「数学なんて、はじめからずっとロジカルだったんじゃないの?」と思われるかもしれないが、必ずしもそうとも言い切れない。徹頭徹尾ロジカルな数学というアイディアは、実は20世紀にようやく形になったのだ。
19世紀に数学は、極限や級数の概念が縦横に活躍する解析学の黄金時代に突入し、そこではじめて「無限」という大問題に正面から逢着した。無限は人間の直観を凌駕する。したがって、無限の彼方に広がる数学的風景を捉えるためには、そのための道具を新たに作り出す必要があった。ところが、数学者たちが道具を磨き、視界が次第に鮮明になってくればくるほど、そこには目を疑うような風景が現れた。
たとえば、「いかなる点においても接線を持たない連続関数」などという「病理的な」関数が発見されたとき、フランスの偉大な数学者エルミートは「恐れおののき、まなこをそむけ」、ポアンカレは「直観はいかにしてわれわれをあざむくのか」と自問し、戸惑いを隠さなかったと言われている。
数学者が目を凝らし、数学的風景をより刻明に把握しようとすればするほど、そこに立ち上がる風景は、直観の予期を裏切ったのだ。次第に数学者たちは、みずからの直観が大雑把で不完全であることを知り、それが証明の手段として信用に足るものではないことを悟るようになった。無限を扱う繊細な議論を厳密に遂行するためには、既存の道具に磨きをかけるだけでなく、数学でなされる推論そのものについて、根本的な反省をしなおす必要が出てきたのである。
こうした大きな時代の潮流の中で、19世紀末から数学の形式化が凄まじい勢いで進展した。数学者は数学を研究するのみならず、数学を研究するということについて研究をするようになったのだ。そのために、「計算」や「論理」という、いままで無意識的に行われていたプロセスそのものが、記号化され、対象化された。身体から切り離された「計算」と「論理」はやがて、純粋に機械的な記号操作の体系にまで還元されてしまったのである。
もはや身体を必要としなくなったこれらのプロセスは、機械の上でも走らせることが可能になった。そうして、数学についての数学的な研究という純理論的な営為が、やがて「電子計算機=デジタルコンピュータ」という、人類史上最も偉大な応用の一つを生み出すに至ったのである。
数学者の身体に宿る、数学的風景の実感を深めようとする努力が、結果的に身体とそこに宿る実感からは完全に解放された「計算する機械」を生み出すに至ったことは、歴史の皮肉という外ない。やがて、徹頭徹尾記号的で論理的なこの機械が、20世紀の文明の中枢に鎮座することになったのは、周知の通りである。
言うまでもないことであるが、コンピュータはロジカルな言語によって、その動きが統制されている。人間の論理が、所詮は身体という混沌とした自然過程の上に立ち上がる二次的なパターンに過ぎないのに対して、コンピュータの論理は、端的に論理なのであって、それを支える(あるいは抑制する)下位の言語を持たない。要するに、コンピュータには身体がない。したがって、放っておけば当然、記号が暴走することになる。
「呪い」の言説が際だってきたのは、1980年代半ば、ニュー・アカデミズムの切れ味のいい批評的知性が登場してきた頃からでした。
というのが、内田さんの分析であり、これが恐らく読者の実感とも符合しているのだと思うが、ある意味で「呪いの時代」は、すでに20世紀の冒頭から準備されていたのである。
その違和感をいち早く察知していた数学者が日本にいた。岡潔である。彼はまさしく20世紀の冒頭、1901年に誕生し、数学の形式化と抽象化が凄まじい勢いで進む時代の中で、数学における情緒を説きながら、独り故郷の山中に籠って、数学研究に耽った。
彼の「計算も論理もない数学がしたい」という言葉には、何か悲痛な叫びのようなものすら感じられる。過度に抽象化し、身体に宿る実感から離れてしまった数学を、「風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。こういうところもいいが、人の住めるところではない」と形容した岡は、「一つ季節を回してやろうと思って、早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こう」と、生涯にたった十篇の論文を著した。
実は先日、岡潔がある日の日記の中で、「《計算は数学でない》等と云ふ無茶な云ひ方はしないこと」と書き遺しているのを発見して、ちょっとだけホッとしたことがある。岡は「計算や論理は数学の本体ではない」と言いながら、同時に計算と論理が、数学の欠くべからざる一部分であることを、深く自覚していたのである。
身体に宿る実感は、どんなに論理を駆使しても、決して汲み尽くすことができない。だからこそ、その汲み尽くすことのできない実感をめざす論理が、尊いのである。
言葉が身体をめがけ、論理が倫理をめざし、理屈が実感に向かおうとすることを止めない限り、そこに「呪い」の入り込む余地はない。
「私にはまだ語りきれていないことがある」と、いつでも深く自覚した上で、それでもなお汲み尽くせないものを、めざし続けること。それが「祝福する」ということなのかもしれない。
そういう意味で内田さんは、論理の時代に現れた倫理の人であり、呪いの時代に現れた祝福の人なのである。
『呪いの時代』の解説という大仕事を引き受けて、ためらいがちにここまで来たが、まだ語りきれていないことがある。
この先はぜひ、僕の論理がめざしながらも汲み尽くすことのできなかった、内田樹のナマの言葉の豊穣を、全身で思う存分、楽しんでいただきたい。
(2014年5月、独立研究者)
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