本が本を呼ぶ、とでもいうのだろうか。「源氏物語」に引かれて、面白い「枕草子」に出会った。内大臣が当時としては貴重な紙を一条天皇と中宮(定子。以下、宮)に献上した。天皇は史記をその紙に書くという。そこで宮は清少納言(以下、少納言)に、こちらは何を書こうかと尋ねた。少納言はそれに応じて「四季」を枕にして書きましょう、と。こうして「春はあけぼの」が生まれた、と著者は推測する。なるほど。男の史記に対する女の四季。
本書は四季と同じく四章から成る。「一. 『枕草子』の輪郭」では、前述した成立事情から説き起こし、宮の死(1000年)を契機に、少納言はきっぱりと筆を擱いたと著者は考える。そして、枕草子は、序(32段まで)、自然(33~64)、感性(65~106)、景物(107~162)、人事(163~187)、風物(188~236)、心情(237~298)、跋の7群から成っており、少納言は991年に宮仕えを始めたと指摘する。
「二. 清少納言のまなざし」では、少納言の思いと動きに焦点が当てられる。才気煥発な少納言が早くも宮の信頼を得たこと、宮の実家(道隆の中関白家)の短い栄華が語られる。少納言は歌人である受領の家に育ち、そこで多くのものを学んだ。また宮中では人並みに逢瀬も楽しんだ。少納言のタイプは「なさけある(情愛が深い)をとこ」であったようだ。そして外出の機会も多かった。そうした宮仕えの日々の中で少納言の鋭い観察眼がますます研ぎ澄まされていく。
「三. 激動の時代を生きる」995年、道隆の死とともに政治は大きな変わり目を迎える。道隆の子、伊周を差し置いて(道隆の弟)道長が権力を握ったのだ。しかし不思議なことに、枕草子は政争には全く触れていない。著者は、優秀な少納言は激変の時期に天皇などと会って宮のために奔走していたと見る。だからこそ、逆に政治的動きを一切記さなかったのだ、と。996年宮は第一皇女を産む。宮の妊娠で里に戻っていた少納言は、997年再出仕する。そして懸命に宮を支える。中関白家の没落にも係らず天皇の宮への愛は変わらなかった。997年入内した宮は第一皇子を出産する。
「四. 『枕草子』の時代」では、まず当時の世相が語られる。枕草子に描かれた庶民(下衆の人々)や法師陰陽師の姿、巷の風景、疫病の影響等々。そして次は自然観。山里の情景、大和の長谷寺詣において見た風景、船旅の体験、樹木や鳥への関心など少納言の飽くなき好奇心には本当に感心させられる。
大らかな人柄で天皇はじめ皆から愛された宮は、1000年第二皇女を出産して死去。ここに少納言の枕の草子の世界は閉じて、再び開くことはなかったのである。その後に紫式部が出仕する。本書を読み終えて改めて思ったことは、この時代における中国(唐)文化の影響の濃さについてである。枕草子も源氏物語も実は白居易をはじめとする唐の文化文明の基層の上に築かれているのだ。紫式部の少納言批判の厳しさはつとに有名だが、少納言が紫式部をどう見ていたかについては何も残されていないそうだ。いかにも少納言らしい。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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