『ヨーロッパ覇権以前 (上下)』by 出口 治明
マクロ経済学は「ルーカス批判(1976年)」の前後では全く様相を異にする、と言われているが、歴史学も、おそらくウォーラーステインの「近代世界システム(1974年)」前後では同じことが言えるだろう。その後、ウォーラーステインに触発されてすばらしい研究が相次いだが、本書はその中でも最も印象に残った1冊であった。10余年振りに再刊されたので改めて再読してみたが、4半世紀前の著作とはとても思えないみずみずしさは健在だった。およそ本物は色褪せることがないのだ。
著者は、「近代世界システム(16世紀)」が成立する以前にも世界システムは存在した、と主張する。そして、A.D.1250年から1350年の世界を俎上に載せる。この時代には8つの回路が世界システムを構成していた。本書は三部に分かれているが、第一部ではヨーロッパ・サブシステムを取り上げる。フランドルの商工業がシャンパーニュの大市を介して地中海と結ばれる第1の回路と、第2の回路である東方と結ばれた地中海世界が描かれる。
第二部は中東心臓部。北方の道(カッファからモンゴルにつながる大草原の道)、シンドバードの道(バクダードとペルシア湾)そして、カイロ(マムルーク朝が独占する紅海の道)という3つの回路が叙述される。第3部はアジア。インド洋のシステムの3つの部分(ホルムズ、アデンからインドへ。インドからマラッカへ。マラッカから中国へ)が説明される。
そして、特筆すべきは、この13世紀世界システムの下では多様な文化、経済システムが共存・協力していたことであり、特定の覇権力を前提としなかったことである。著者は、21世紀の世界システムを考えるに際して、13世紀世界システムから多くのことを学べるはずだと指摘する。1つの卓見であろう。
ところで、ローマと漢をインドが仲介していた2000年前にも世界システムは存在していたが、それはシステムの両端に位置する2つの大帝国に多くを頼る構造であった。世界システム変化の理論や世界システム再構成の問題は、決して一筋縄ではいかないと著者は述べる。それはその通りであろう。ともあれ、ウォーラーステインが投じた波紋は、これからもしばらくは歴史学者の新たな挑戦を呼び起こさずにはいられないだろう。
たまたま本書の前後に、イアン・モリスの「人類5万年文明の興亡」を読んだ。この本もおそらくウォーラーステインの流れにある。「歴史の原動力は、不安と怠惰と食欲だ」といった面白いコメント(真実である!)や、社会発展指数を考案して歴史を極力数値化して表現しようとする試み、あるいは地理的条件の重要性の指摘等評価できる点も多々あるが、西洋(しかも、メソポタミアやエジプトをも含む)と東洋を一貫して対比させることにどれだけの意味があるかは正直よく理解できなかった。「銃・病原菌・鉄」を凌駕する、という広告はやや誇大に過ぎるであろう。アブー=ルゴドと比較すると一層その感が強い。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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