漢字を指して、誰が言ったのだったか、「世界で最も美しい文字」、と。本書はその漢字の成り立ち(字源)を解説した入門書である。ただし入門書ではあるが、著者の異才が如何なく発揮されており、快刀乱麻、当たるを幸い薙ぎ倒す勢いが、なんとも面白い。漢字に興味を持つ人にとっては、堪えられないだろう。
本書は7章から成る。第1章では、漢字の誕生と継承が概説される。漢字は紀元前二千年の前後におそらく出現した。それが大量に文字資料(甲骨文字)として出土するのは紀元前13世紀以降のことである。その後、西周王朝の金文、始皇帝が統一した篆書(てんしょ)、漢の隷書、やがて紙の普及に伴い南北朝時代に楷書が完成する。そして、木版印刷の発展により、宋朝体や明朝体(現在でも多用されている)が作られたのである。第2章は、漢字の成り立ちと三つの要素。象形、指事、会意、形声という四種類の成り立ち、字形、字義、字音という三つの要素が述べられる。何といっても象形(字形)が面白い。なお甲骨文字では、左右が逆でも意味に変化はないそうだ。第3章は、字源研究の歴史。西漢の許慎の著した「説文解字」、現存する最古の漢字辞典から話は始まる。許慎は2000年前に9千字以上を収録した。そして、19世紀末に甲骨文字が発見されて字源研究は一新されたのである。
第4章は、字音からの字源研究。泰山北斗の加藤常賢と藤堂明保の研究が紹介される。しかし上古音が正確に復元されない限り、字音からの字源研究は不可能と言わざるを得ない。第5章の字形からの字源研究では、白川静が俎上に載せられる。白川の功績は大きいものの呪術儀礼を重視し過ぎたと一刀両断される。このように著者は三巨頭の字源解釈の誤りを次々と正していく。第6章は字義からの字源研究。しかし原義の用法が明らかかどうかという限界がある。第7章は最新の成果。例えば、僕の名前に使われている「明」は「月明かり」と「明け方」を表す二系統の字形が統一されたものである、なるほど。
それにしても、漢字の成り立ちは本当に面白い。「族」は軍隊(軍旗と矢)、「王」は、まさかりの刃の部分、王の持つ軍事力の象徴である。また、「幸」は手かせの象形であり捕虜の意味であったが、後代に「拘束から解放される」という解釈により反訓で「幸福」の意味になったのである。巻末の参考文献や用語解説等も充実しており、本書以上の入門書を望むのは、土台無理な相談というものであろう。なお、著者は現在、公開されたすべての甲骨文字のデータベースの製作に取り組んでいるという。公開が待ち遠しい。世界で最も美しい文字の原初の姿をインターネットで自由に検索できるとは、何と楽しいことか、想像しただけで胸がワクワクしてならない。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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