五月病、という言葉がありますが、前向きに忙しく生きるのを一休みして、新緑が目を洗うこの季節、のんびりゆっくり過ごす。これはとても理に適っている。いや、それどころかそうする権利がある!とさえ思ってしまうのは5月生まれの私だけでしょうか。今月は、そんなより良い、より積極的五月病(そんなものがあるとすれば)を求める方にぴったりの珠玉のエッセイをたくさん見つけましたのでご紹介させて頂きます。
表紙のけだるい美女(著者)の写真と、帯の「これが平成生まれの食文化だ!新しい味覚エッセイガイド。」のキャッチコピーに惹かれて、軽い気持ちで読み始めたら…火傷しました。カタカナの「ヤケド」じゃなく漢字で「火傷」。
とにかく食べることが大好きな「生粋のごはん狂」である1991年生まれのカリスマフードブロガー初の著書です。私は思いました。平野紗季子さんは詩人だ。食、という素材を追求して言葉やイメージの旋律にのせる詩人。
仔馬のたてがみ
気持ち良さそう、撫でたら、溶けた口に含んで、音なく、溶けた、
じわっと舌が冷たくなって、消えた
綿ほどの存在感もない
透明な水の味がほどけて
冷たい空気と香(こう)の良さがひろがる
すこしだけ甘い
繰り返すじーん…
これは、かき氷があまり好きではなかった著者が「三日月氷菓店」のほうじ茶のかき氷を食べて初めてその魅力に開眼した時の感想。薄茶色で、細い繊維状の美しいかき氷を「仔馬のたてがみ」と表現しています。かといって、この本は若い女の子が美味しいものを食べて「じーん…」と感動している本ではありません。むしろその対極!「食」に関してとにかく尖っています。妥協を許さない。世界一のレストランの前衛的な味からロイヤルホストのサービスのあり方から、おいしい柿の種の食べ方、食を芸術・文化・歴史として捉える鋭い考察まで。
著者は食にからみつく「生活」の匂いを否定しています。食べることが生きること、だとするならば、まだ見たことのないもの、味わったことのない未知の感覚、それを求めて走り続けることにこそ彼女の「食生活」はある。
おいしいという快感は料理の醍醐味だと、そう思ってきたけれど、実は食べるという総合的知覚体験に対する保守的な態度を作ってしまう元凶なのかもしれない。
「おいしい」なんて。「おいしい」なんてさ、所詮自分の人生が経験してきたせまい世界の食材と調理によって作られた基準なんだ。私、もっと衝撃的なやばい味にたくさん出会って生きていきたいよ。コロッケにソースばっかりかけやがって。
巻末のブックガイドを見るだけで、著者の古今東西の料理や本への造詣の深さに驚かされます。食べものをただ味わうのではなく、その奥にある芸術性や、時代とともに変遷を重ねてきた料理の思想まで理解したい、という熱がすごいです。ああ、自分は何かに対してこんなに純粋に真剣になったことがあるだろうかと自問してしまいます。
一見五月病的でありながら五月病をふきとばす刺激的な一冊。
ブルーインクで描かれた素敵な表紙は著者の手によるもの。ウクライナの首都キエフに生まれ、チェルノブイリ原発事故を思春期に体験した一人の女性が、東京大学大学院で学び、現在は故郷で教師、作家、通訳として活躍するかたわら日本語で綴った、ウクライナと自身の人生にまつわるエッセイ。薄い本ですし、一つ一つの話が短くサラッと書かれていますが、ウクライナの美しさ、歴史、人々の痛みや喜び、著者の記憶の中に現れる一人一人のウクライナ人の人生がずっしりと響いてきます。
ワレンティナという名の著者のはとこが、原発事故に関係があると思われる病によって亡くなってしまった話。ソ連による支配が何十年も続き、伝統的な宗教生活が失われてしまったあとで、家庭にイコン(聖像画)を飾る習慣の素晴らしさを再発見し、忘れ去られていたイコンを収集して博物館まで作った人の話。パイロットになりたかった著者のお父さんの話。キエフの街の歩き方や、サッカーについて。
ウクライナと日本は地理的に非常に離れているけれど、二つの国民性には一つの共通の特徴があると思う。感情的な、センチメンタルな部分。他人の前には出さなくても、内面には非常に暖かい心がこもっている。
外国の方が書いたとは思えないほど情緒ある日本語で、ニュースやインターネットでは知ることのできないウクライナの姿を伝えてくれます。
北大路公子さんの大人気エッセイシリーズが待望の文庫化です!著者の37~38歳にかけてのめくるめく泥酔の日々が赤裸々に綴られています。
泥酔して帰ってきて朝気がつくと、自分の履いていた靴が枕元にきちんと脱いである。あまりの事態に、自分の飲みすぎを深く反省…するも、次の瞬間、靴は枕元で脱いだけれどもパジャマにちゃんと着替えて、化粧も落とし、コンタクトも外して眠ったことに気がつき、やっぱり自分はまだまだ大丈夫!と明るい気持ちになる。(どこが大丈夫なのか!?)
電車など公共の場で読むのは非常に危険ですのでお勧めできません。それから、飲みすぎた自分を戒めるためにこの本を読んでも逆効果です。こんな人もいるくらいだから自分はマシ、という根拠のない深い安心感にからめとられてしまう恐れがあります。
この本があれば年中どこでも五月病になれます。いい意味で。
ほぼ日刊イトイ新聞の人気シリーズ「黄昏」が文庫本になりました。古くからの友人同士である南伸坊さん・糸井重里さんの二人が、あちこち旅をしながらくだらないおしゃべり、けれども何とも言えず味わい深いおしゃべりを、ひたすらゆるゆると続けるだけというシンプルかつ斬新な対談本。
糸井 そうそうそう。
ぼくなんかは、去年、夜中に懐中電灯持って、セミの羽化を見に出かけたりしましたからね。
南 そうとう好きなんだね、セミが。
糸井 なんだか総合すると、そういうことになるね。
南 だいぶ好きだよ、セミが。
夜中にでかけるわ、佃煮にするわ、
壁に抜け殻を一年中ぶらさげとくわ。
糸井 佃煮にはしてないよ。
南 とにかく、熱心だよ。
糸井 そうかな。そんなことないでしょ。
まぁ、いってみれば……セミプロ?
南 言うと思ったけどね。
ことばのプロ同士による軽妙なやり取りは、何度読んでも飽きません。
時間を忘れさせてくれる一冊です。
それでは、また!
【ジュンク堂書店大阪本店】
〒530-0003 大阪府大阪市北区堂島1-6-20 堂島アバンザ1F〜3F