完全なタイトル買いである。書店で震えてしまったのは私だけではあるまい。
「ブラ男」。表紙からもわかるようにブラジャーをつけた男のことである。男にとってブラジャーほど謎な存在で、生まれもった身体の違いから不可侵な領域はないはずだ。男にも固有のものが付いている。ただ、男性もののボクサーパンツを女性が穿いても絵になるが、男がブラジャーを付ける姿は間抜けである。絶対に胸のふくらみがスカスカになるはずだ。胸筋があれば違うのか。Aカップならば大丈夫なのか。ぼんやりと、男子諸君ははるか昔にばかげたことを思ったはずだ。
その封印された記憶を解き放ってしまう見事なタイトル。『ブラ男の気持ちがわかるかい?』。わからないけど、わかりたい。冷静になれというほうが難しいだろう。
とはいえ、本書は一冊丸ごとブラの機能性や男性がブラをつけたときの興奮を記しているわけではない。50歳を過ぎた著者が人生の折り返し地点を過ぎて、興味があっても特段取り組む理由がない事象をとりあえず試してみる。そのような内容が中心のエッセー集だ。ブラをつけるほか、ラブホテルの進化を確認するためにひとりで泊まったり、ネットカフェに宿泊したり、バッティングセンターで150キロの球を打ったり、接待ゴルフを体験したり。恐ろしいほど肩に力が入っていない。
ノンフィクション作家やライターが巨大企業の期間工になりすまして製造現場の実情を訴えるような社会性はない。宗教団体に潜入したり、悪徳商法にわざとひっかかり、内情を暴いたりするようなスリリングさもない。身も心も削る取り組みは良くも悪くも収められていない。潜入物や挑戦物によくある、文章は軽くても行間から正義感や自己顕示欲がにじみ出るようなこともこちらが心配になるほどない。著者のこれまでのエッセーと同じく、我々の日常生活と同一線上にある事象を我々もできる範囲で挑み、その一部始終を軽妙な文章で描ききっている。150キロの球を投げることに挑戦せずに、150キロの球をバントする。ネットカフェ難民の気持ちを知るためにネットカフェで年越しするが連泊はしない。1泊である。
試みている内容が、手軽にできる上に、誰にも迷惑がかからないところも共感でき引き込まれる。ブラ男になるのも姉妹や妻や母親の目を盗んで30秒もあれば、変身できる。後ろのホックが留められずに変身の途中に最悪の結末を迎えようとも、「いや~、どんな感じかと思って」とにっこりすれば場は収まるはずだ。いきなり、どこかの宗教法人から高額なつぼが宅配便で届くより家族の理解は得られるのではないだろうか。
実際、著者もホックを留められずに妻に頼む。「まさかあなたと結婚してこんな日がくるとは思わなかった」と笑われながら、留めて貰う。これこそ21世紀の新たな夫婦の共同作業である。3歳の娘には「おとうさんキモチワルイ、そんなのしちゃダメ!」と変態扱いされる。体を張って幼児期から多様性を教えるなんて素晴らしすぎる。
妻に笑われようと娘にキモがられようと外に出るブラ男。電車に乗るブラ男。銀座を目指すブラ男。誰も見ていないのにむず痒さを解消したいのにブラをずらせないブラ男。装着感に関する違和感と快感が交わる詳細な実況は、数多くの男性読者をブラ男の道に誘いかねない危うさがある。
最近、著者は新聞連載で猟師になることに挑戦していた。漁師でなく猟師ってところが著者らしくて好感が持てる。猟師と漁師のどちらが大変かはわからないが、「遠洋漁業行かせるぞ、ゴルァ」と切れるヤクザはいるかもしれないが、「信州に鹿狩りに行かせるぞゴルァ」と切れるヤクザはVシネマを見ている限り知らない。著者が単に松本に移住したから猟師であって、海沿いに住んだら漁師だったのかもしれないけれども。
本書は是非、少しばかり疲れた若い会社員や新社会人に読んでほしい。大人ってばかだなとクスッと笑えて勇気がもらえる一冊だ。もしかしたらあなたの嫌いな部長も、しかめっ面して日経読んでいてもスーツの下はブラ男かもしれない。「部長、ブラが透けています」と突っ込める日が来るかもしれない。「部長、実はボクもブラ男です」と盛り上がる日が来るかもしれない。そんなことを妄想できる本書を読めば、五月病もぶっ飛ぶはずだ。