2008年7月、iPhoneが発売された。その時から凋落の一途を辿っていったのが、Nokiaの携帯電話事業である。2007年に最高益を達成した後は、「第3・4世代(3・4G)移動通信システムvsスマホ」におけるイノベーター・アップルの前にひれ伏すこととなる。そして、2012年には14年間に渡った販売数トップの座をサムスンに明け渡し、昨日、携帯電話事業をマイクロソフトへ売却した。
しかし、これまでNokiaが果たした携帯電話事業への功績は大きい。特に水道、道路、電気のインフラが十分に整っていない発展途上国で、携帯電話を売りまくってきたのである。一番の売れ筋商品であったNokia1100は、シンプルなデザインと限られた機能で累計2億5千台を販売したし、今では世界で半数以上の人が携帯電話を持っている。著者は、この携帯の普及をバックエンドで支えるリサーチ部門に所属していた。
2005年当時、使えるはずがない層の間で携帯電話の購入が増えるという奇妙な現象があった。識字ができる人向けに開発された携帯電話は、彼らにとって最適な使い勝手ではないと考えられ、Nokiaでは新しい携帯電話を企画する必要性の有無に関して、決断を迫られていた。
はたして文字が読めない人は、どのようにメールを送っていたのだろうか。仮に送付方法を学習したとしても、文字を組み合わせて単語をつくる能力は持ち合わせておらず、文章の編集には苦労するはずである。そして送付できたとしても、意味が通じたか、相手にメールが届いたかすら、彼らに知る由はない。
調査の結果、彼らは自分では文字を読むことはできないが、文字を読むことや書くことができる人を2、3人知っており、その人達にメールの送付や文字の解読をお願いしていたのである。
また、文字の読めない人自身は文字が読める人と同じように扱われたいと考えており、同じデザインを使いたがる傾向もあった。特別に設計された機器は「立場の弱い」人に向けて設計されたものと見なされ、利用者に「弱者」の社会的レッテルを貼ることと同義であった。
他にも驚く結果がある。ヒンディー語は理解できるのに、その言語が使えない携帯電話を利用していた人も存在したという。他社からヒンディー語の使える製品が販売されていたにもかかわらずである。魅力的ではないが文字を理解できる携帯電話を使うか、文字は理解できないがステータスシンボルになる携帯電話を買うか、要因は環境によって異なっていた。
これを受け著者達は、最適化された製品を出しても、大きな変化を生むことは出来ないのではないかと結論付けた。助けが必要な人たちに適応した製品が人々の人生を変えると信じていた夢想家や純粋な人には、納得のいかない結果が突きつけられたのである。
現実として確かなことは、相手にとっていちばんいいことをしようと考えているなら、自分たちが相手の問題の解決方法を知っていると考えるよりも、相手がどのように問題を解決しているかを理解することがいちばんである。
普及した小さな電子機器は世界中の人間同士のやり取りを変えてしまうと同時に、いたって普通の人々が、自分たちの問題を解決する為に、自発的に新しい生活様式や方法を生み出した。着信履歴の回数や長さでお金のかからないコミュニケーションを取る。市場の価格を知り、有利な取引をする。明日の天気を知り、農業に活かすなど、事例は枚挙にいとまがない。
今では途上国で重要な金融インフラになっているモバイルバンキングも、ウガンダやケニアの農村部でボトムアップで自発的に始まっていた。プリペイドの通話料金を現金に換えることで送金を行っていたのである。それは誰が始めたのかは、わからない。だが、携帯電話が人々の生活を大きく変えただけでなく、利用者が携帯電話で出来ることの限界を広げていったのだ。
本書は技術と人の接点で生まれている新しい変化を、世界中の普通の人に密着・観察することで見出している。偏見や思い込みから死角となる部分を明らかにし、人々の新しい行動パターンを見つけてきた著者の叡智がぎっしりと詰まっている。テクノロジーと人の関係性を考える一つの起点になりうる視点である。
私たちは自分のまわりにある世界に慣れきっている。ものは身近になるにつれて風景に溶け込んでいき、かつ一つの手順で頭を使わなければならない新しい習慣だったことは自動的に済まされることとなっていく。
その観察手法はデザイン・リサーチという体系化されたもので、各章でランダムに紹介されている。それは「どうしてあんなことをするんだろう?どうしてそんなやり方なんだろう?」と疑問を抱き、その行動の理由を探り、分析するというものだ。長年の経験から日々改善されているフィールドでの方法論はかなり野性的だが、無駄がなく本質を突いている。付録に簡潔にまとめられている内容は普通のビジネス書では見られないものばかりだ。
そして、著者は10年以上Nokiaの携帯事業全盛期にリサーチャーとして勤務した後、学びのある場所へと住む場所を移し、仕事を変えて現在は独立している。携帯電話やWebサービスの分野を中心に、歯の矯正器具、バイアグラ、電車など、変わり種の領域でも、深い洞察も披露している。
クレイジーな場所にも軽々と足を運び、調査する。例えば、内戦が治まらず通信環境が絶たれたリビアの状況を見るためエジプトから車で8時間かけて調査に赴いたこと。他には中国奥地の砂漠で警察の拘束を逃れる交渉をすることもあれば、自ら実験台となり、リオデジャネイロでポケットに現金を積めて治安の悪い通りを歩いたりもしている。
危険地帯に行くとはいっても、旅するように働き生きる仕事は多くの人の憧れであり、非常に羨ましいものだ。(とりわけジャーナリストには、大きな予算を使って、しかも〆切のない仕事をしている同業者だと思われているそうだ。)世界を捉える新しいもの見方を武器にすれば、世界各地で仕事をし、人生を謳歌することができるのではないか、と本書を読んでいると夢想してしまう。
最後に、ベトナム・ホーチミンで見られるありふれた日常を観察した一つの写真を紹介する。
ペットボトルとレンガが、現代の生活に欠かせない何かを代替している。なんだかわかるだろうか?想像してほしい。あなたにも夢のような仕事につくチャンスがあるかもしれない。
(写真提供:janchipchaese)
ついつい無意識にやってしまう行動が写真で紹介されている。
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