昔から、信仰やスポーツ、健康維持のため老若男女を問わず山と親しんできた日本人にとって、遭難事故はめずらしいことではない。これまでも山行記や遭難記録が多数刊行され、そうした何冊かは私も読んでいた。だから本書で、「サードマン現象」(原文はThe third man factor)の記録を読んだときも、驚きはしなかった。人はたまらなく孤独になったとき、とりわけ過酷な大自然のなかに放り出されたとき、いるはずのない誰かに助けられることがあると読んだことがあるからだ。
1982年、千葉県市川山岳会の松田宏也は、パートナーの菅原信とともに中国のミニヤコンカ(7556メートル)に挑んだ。悪天候のため頂上を目前にして撤退した2人を待っているはずのテントは、そこになかった。ほかの隊員たちは2人が遭難死したものと思い、すでにキャンプを撤収して下山してしまっていたのだ。ここから生存を賭けた凄絶な12日間が始まる。下山を再開してまもなく菅原が倒れ、松田は1人で麓をめざすことになる。両手両足が凍傷にかかった状態で岩場を歩きクレバスを越えた。その間、絶えず幻聴が起きた。パイプオルガンの音、ガード下の轟音、日本の演歌……。そして、絶壁をおりる方法が見つからず自暴自棄になりかけたときに、その声が聞こえた。
「落ち着け……、落ち着け……」
心の中で、低い声が響いた。その声で興奮が鎮静していった。
「あっ……、いまの声は……!」
僕は、心の中で、菅原の声を聞いたのだった。
〈中略〉
冷静な心を取り戻した僕は、正解をつかめた。
まず、絶壁のどこを下降ルートにするか……。それも、菅原がここだと教えてくれた。
(松田宏也『ミニヤコンカ奇跡の生還』山と溪谷社、1983年)
それから松田は、「起きろォ……」「行こう……」「歩け!」と促す菅原の声に支えられて下山を続け、ついに中国イ族の農民に発見され、救出される。
世界的に有名なクライマーの山野井泰史も、1994年、ヒマラヤのチョ・オユー(8201メートル)で〈存在〉に気づく。後ろに気配を感じ、その幻のパートナーが手を貸してくれないことを不思議に思うのだ。
確かに男のクライマーで会話はできないが、意思の疎通は可能なような気がする。今までのソロ・クライミングのときは孤独を紛らわすためにわざと独り言を言ったりしていたが、今回の登攀はまったく話していない。寂しくないのだ。山が私に同伴者を与えてくれているようだ。
(山野井泰史『垂直の記憶——岩と雪の7章』山と溪谷社、2004年)
本書では、このような現象が起きる理由の1つとして、高度による酸素不足を挙げている。しかし、〈存在〉が現れるのは山だけではない。1992年、グアムへのヨットレースで「たか号」が転覆し、27日間漂流した佐野三治は、仲間がバタバタと亡くなり1人きりで絶望の淵にあったとき、突然、筏ごと100メートル上空に浮き上がり、大音響のベートーベン第九交響曲が聴こえてきたと言う。
幻覚ではなく、本当にああいう状態になったとしか思えないのだ。太平洋の真っ直中で漂う私を、UFOに乗った宇宙人が見つけて、なんとかしてやろうと、持ち上げてくれたのではないだろうか、と。
(佐野三治『たった一人の生還——「たか号」漂流二十七日間の闘い』新潮文庫、1995年)
本書では、海底洞窟、南極大陸、飛行機の操縦席、9・11の世界貿易センタービルなど、さまざまな場面での「サードマン現象」が描かれている。それらを神の御業だと言う人もいる。研究者は、孤独、単調な風景、喪失ストレス、低温や低酸素など、外的・内的要因を挙げている。著者は、数多くの体験者の話を聞き、膨大な資料にあたり、その一つ一つをつぶさに検証する。そして結論は、脳科学へと収束していくのだが、それでもなお謎は残る。なぜ〈存在〉は危機的状況にある人を助け、奇跡の生還へと導くのか——。
本書に掲げられた多数の例を読むと、人間の潜在能力の大きさに驚嘆させられる。また、それらを「神秘体験」という言葉で片づけず、あらゆる方面から科学的に検証しようとした著者の努力により、本書は単なる事例集にとどまらず、体系的な記録と研究の集大成となっている。超自然的だが、おそらく誰にでも起こりうる「サードマン現象」と、その背景にある人間の精神の働きに、思いをめぐらさずにいられない。
本書の翻訳にあたっては、新潮社出版部の今泉正俊氏に大変お世話になった。数年前にお会いした際、雑談で冒険書の情報を交わしたことを覚えていてくださったおかげで、このような興味深い本とめぐり会うことができた。心から感謝申し上げたい。
2010年夏 伊豆原弓
新潮文庫
読者の高い知的欲求に充実のラインナップで応える新潮文庫は1914年創刊、来年100年を迎えます。ここでは、新潮文庫の話題作、問題作に収録された巻末解説文などを、選りすぐって転載していきます。新潮文庫のサイトはこちら