表紙には、マンハッタンのクライスラービルを、窓に手をあてて眺めている少年がいる。しかし、よく見ると彼の右手にはマジックが握られ、窓ガラスには数式がびっしりだ。
野球帽を逆さにかぶった少年の名前はジェイコブ・バーネット。ジェイコブ君は8歳で大学レベルの数学、天文学、物理学のコースを受講し、9歳で大学に入学した、言わば天才少年である。窓ガラスの数式は、大学入学直後、相対性理論に取り組んでいる際のものかもしれない。
彼は2歳のとき重度の自閉症と診断されている。本書は、自閉症と診断された日から現在までのジェイコブ君を追っている。しかし本書は、ジェイコブ君の数奇な人生を強調するのではなく、ジェイコブ君と共に自閉症と闘った、家族や友達の話が中心となっている。
著者は、ジェイコブ君の母親であるクリスティンさんだ。彼女の才能、それは子供の関心や愛着を生かして伸ばしていくことである。彼女が、ジェイコブ君の才能を引き出さなければ、「アインシュタインと並ぶ」と言われるほどの才能は永遠に埋もれたままだった。
では、どのように才能を引き出したのか。私は本書の読みどころはここだと思う。クリスティンさんがもっとも重要視するのは、子どもたちが自分らしくいられる場所、時間を大切にすること。例えば、多くの自閉症児は体を締め付けられるのが大好きだが、ジェイコブ君がセラピーを受けるときには、天井からハンモックを改造したものを吊るし、彼が適度に締め付けられ、落ち着けるような居場所を作った。また、ジェイコブ君が長いプログラムを我慢しなければならないとき、あらかじめ「終わったら好きなこと何でもしていいよ」と声をかけておいたりもする。
自閉症児が大人になったとき、彼らの思い出となるものは何か。何時間もセラピー詰めにされていては、子どものときに誰もが体験するプールやアウトドアの思い出を一生失ってしまうこととなる。クリスティンさんは自分が祖父にしてもらった森での様々な経験を思い出し、ジェイコブ君にも子どもならではの時間をプレゼントする。例えば、夜、少し田舎に入って芝生に寝転び、星を見上げる。この経験がジェイコブ君を宇宙物理学者へと導いたかもしれない。親子の時間、ジェイコブ君の好奇心、大人になって思い出す芝生の感触、クリスティンさんがジェイコブ君に与えたものはすべてが尊い。
さらに、クリスティンさんが影響を与えたのは、ジェイコブ君だけではない。他の自閉症児のために、自身が運営する保育所に夜間コースを設けたが、これが自閉症児のいる家族のための駆け込み寺のような役目を果たした。そして、そこに通った自閉症児たちが、それまで何年かけてもできなかったことを数ヶ月で成し遂げるなど、目を見張るほどの成果をあげていく。そのコツは、「その子が好きなこと」を無限大に広げていくことだった。
例えばジェロード君は、2歳で自閉症と診断され、ずっと言葉を話していない。母親は目を真っ赤に腫らし、「もうできることは何もないって、そう言われました」と話す。そんなジェロード君のために、クリスティンさんは何百ものアルファベット・カードを床に山盛りにした。それらのカードは、よくあるキャラクターものではなく、白に黒字、大きさは少し小さめというシックなもの。ジェロード君が子どもではないという尊敬を示したのだ。そんなカードを前にジェロード君は目を輝かす。そしてそのカードを使って二人で作った文章をジェロード君はゆっくりと発音した。
「I love you, Mom.」
ここで私は思わず泣きそうになった。
このように、クリスティンさんの創意工夫に私は何度も目頭が熱くなった。何よりすごいのは、彼女が彼女自身を強く信じていたことだ。専門家の意見よりも自分の直感を押し通す強さ。ジェイコブ君の自閉症のためのプログラムを止めたのも、小学校を止めて大学に通わせる決心したのも、クリスティンさん自身が決断したのだ。前例がないなかで一歩を踏み出したクリスティンさんの勇気は、同じように自閉症の子どもを持つ母親をどれだけ励ましたことだろう。母親でもない私も、多いに勇気づけられた。本書は特殊な状況にある特別な家族の話ではない。自分にとって大切な人を信じ、その人のために闘っている者たちをめぐる、普遍的な物語なのだ。