FBIとはFederal Bureau of Investigationの略称であり、日本語では連邦捜査局となる。その名前や映画で伝えられるイメージから、FBIをアメリカの州をまたがる凶悪犯罪を担当する警察、と考えている人もいるだろう。ところが、FBIの主たる目的はその誕生から今日まで、秘密諜報活動にあると著者はいう。CIAとは異なり、FBIには犯罪を取り締まる法執行機関としての役割もあるが、多くのFBI捜査官は、不法侵入、盗聴や脅迫という、スパイ活動に従事してきた。
もちろん、盗聴に代表されるこれらの行為は違法である。裁判所やFBIを管轄する司法省は幾度となくその行動にブレーキをかけようとしたが、FBIを止めることはできなかった。法の支配の外側を自由に動き回るその力を利用しようとする者が、後を絶たなかったからだ。そのため、「電話傍受、盗み聞き、侵入は1930年代以降、FBIの諜報作戦における三位一体の手段」であったという。彼らは、J・F・ケネディとマフィアのボスの愛人との情事、キング牧師のベッドルームでの振る舞いまでもを監視していた。
アメリカ国民の安全という大義の下の違法行為は、どこまで正当化されうるのか。本書で提示される諜報の歴史は、エドワード・スノーデンによって暴露されたNSAによるアメリカ国民の監視、日本における秘密保護法の成立、という今日的課題に直接繋がっている。レッドパージ、世界大戦、冷戦、そしてテロとの闘いを通して、世界最強国家アメリカがどのように情報を集め、利用してきたのかを今こそ知る必要がある。
手に入れれば手に入れるほど情報への欲求は高まり、自分のものとなった情報はいかなる目的のためにも活用したくなる、ヒトにはそんな習性があるのかもしれない。違法な盗聴によって得られた情報は、麻薬のように人を引き付け、それなしでは生きられなくしてしまう。FBIの歴史は、情報を求め、情報を利用し、そして情報に振り回された人々の物語でもある。
100年以上に及ぶ歴史の中で、FBIは誰と闘い、何を守ろうとしてきたのか。アメリカという国を、その内部からどのように動かしてきたのか。著者は、機密扱いを解除されたばかりの文書とオーラルヒストリーに基づいて、その輪郭を明らかなものとしていく。ドミニカ共和国への介入やウォーターゲイト事件の裏側など、驚愕の事実の連続に何度も「これって本当にノンフィクション?」という疑問が頭に浮かぶ。しかし、巻末に大量の著者によるソースノートがつけられ、伝聞や推定に起因する不確実性は可能な限り排除されていることがよく分かる。
人口に膾炙した噂話を退け、事実のみで物語を紡いでいく著者をして、初代FBI長官J・エドガー・フーヴァーは「米国のマキアヴェリ」と評されている。この男こそが本書の、つまりFBIの歴史の主役だ。フーヴァーは、48年もの間FBI長官を務め、8代にわたる大統領に仕えた。これほど長くアメリカ政府の中枢に居座った者は他にはいない。フーヴァーのことを忌み嫌った彼の上司(司法長官や大統領)たちも、彼をその座から追いたてることはできなかった。フーヴァー解任を画策し、痛い目にあった人間は1人や2人ではない。フーヴァーはリークを駆使した世論操作の天才であり、政治的駆け引き、権謀術数でも非凡なものを持っていた。
様々な才を持つフーヴァーだが、これほど長く頂点に居続けることができた最大の要因は、彼が何よりも大事な「情報」を握っており、その使い方を熟知していたところにある。1910年代の共産主義者たちとの闘いの中で、出世の階段を昇り始めていたフーヴァーはこんなことを書き残している。
法律は米国を守るには力が弱すぎる。左翼からの脅威を探知・粉砕して、米国を攻撃から守ることができるのは秘密諜報だけである。
情報という最強の武器を手に、フーヴァーがあらゆる政敵を追いつめていく姿を追うだけでも、本書は十分にスリリングだ。もしフーヴァーが、自分の上司だったら、もしくは部下だったらと考えるだけでもぞっとする。あるホワイトハウスのセキュリティ顧問は、フーヴァーについてこのような言葉を残している。
フーヴァーは好き勝手にやった。トルーマンであれ、だれであれ、人からの命令に従わなかった。合衆国司法長官の命令に関してはとくにそうだった。
実は、アメリカにおける公的な諜報組織の歴史は短い。19世紀においても、大統領は私立探偵社に秘密諜報の入手を頼っていたという。セオドア・ルーズベルト大統領は、無政府主義者が乱した秩序を回復させるために司法省内に捜査機関を設けようとしたが、新組織が米国版秘密警察になることを恐れた議会に拒否されてしまう。それでも、1908年7月、当時の司法長官ボナパルトは議会が休会入りしたすきを狙って、司法省の予算で34名の特別捜査官からなる新捜査部を設置することに成功し、この組織が後のFBIとなった。その誕生以降FBIは拡大を続け、現在では30,000人以上の職員を抱えている。そして、その姿は現在に至るまで絶えず変化し続けている。
インターネットとSNSの急速な普及に比例するように、個人情報の流通量と拡散速度は加速度的に増してきている。アラブの春で一定の役割を果たした新たな情報共有の仕組みの裏では、多くの諜報機関がうごめいていたはずだ。著者は、「安全保障か理想かという二者択一をまやかしとして、つねに拒否しなければならない」と主張する。わたしたちは、まやかしにとらわれることなく、新たな道を見つけることができるだろうか。
CIAの歴史が失敗ばかりであることを明らかにした、同著者による一冊。こちらの『CIA秘録』、今回の『FBI秘録』は3部作の1、2作である。第3作では米国国防総省について語られる。
「現代スパイの総本山」であるイスラエルのモサドの秘密を暴く一冊。成毛眞によるレビューはこちら。
膨れあがる秘密情報はどのように管理されているのか、トップ・シークレットと呼ばれる情報はどのようなものか。驚きのアメリカの姿が描かれる。