書店員の頭を年がら年中悩ませるものの一つが「フェア」です。季節も時代もどんどん移り変わっていく中で、その時その時どんな本をどんなテーマで集めるか。ネタ切れで苦しむことも多いですが、本屋に足を運んで下さるお客様を驚かせたい、楽しんで頂ける棚にしたい、という気持ちで考えています。今回は、3月に当店で行う予定の「土と食べもの」フェアから、本を3点ご紹介させて頂きます。
若くして世界中を放浪し、その希有な旅の才能が光る女性ノンフィクションライター・中村安希さんの各国の「食」にまつわるエピソード集。著者が世界中で食べたものの名前がそのまま各章のタイトルになっています。例えば、第九話「臭臭鍋と臭豆腐」。舞台は台湾。著者はそこで、アメリカ留学時代の恩人ともいえる友人に9年ぶりで再会します。共にアジア人である女性二人は、交わす言葉は少なくとも同じ食べものを分かち合うことによって不思議な絆で結ばれ、異国での孤独な日々を一緒に乗り越えてきました。
留学中、著者が高熱を出した時に台湾人の彼女が黙って作ってくれたヌードル・スープ(汁そば)のエピソードは、二人を結びつける友情を象徴しているようで、胸に迫ります。長い時を経て再び顔を合わせた二人は台湾名物「臭豆腐」を食べに出かけます。
「こういうものは病みつきになる」
美味しそうに食べる彼女の姿をしばらく黙って眺めていたが、私は促され、とうとう一かけだけ口へ入れた。臭かった。けれど臭みが顔中に広がると、不思議な気持ちよさがあることに気が付いた。それは、臭みにはまったついでに、どうせなら、もう一かけ迎え撃ちたいと思わせるような、意欲を掻き立てる味だった。
この本に書かれているのは、世界各国の食文化に対する客観的な分析ではなく、著者の深い内的な食体験そのものです。それぞれの土地、そこに暮らす人間と、著者は鮮やかに、ほとんど美しいと言っていいほどの自然さで関係を結び、その土地ならではの食べものを人々と分かち合います。一つ一つのエピソードが小説のように濃厚で、陰影を感じさせる文章です。読み進めるうちに、たまらなくお腹が空き、そして人恋しくなります。
環境破壊や食糧危機、遺伝子組み換え技術といった問題に直面している現代の食卓において、私達は、何を、どんなふうに、日々選びとり食べているのか。この選択にこそ、一人一人の‘政治意識’が現れている、という仮説のもとに書かれた大胆な本です。
著者は、コンビニ食やファーストフード、チェーンの飲食店などを日常的に利用し、食の安全性や質の高さよりも、利便性、安さや量を重視する人々を「フード右翼」とし、自らはフード右翼側の人間として、「フード左翼」(著者の定義では自然食や有機農業によって生産された食品を追求して食べる人々)の世界を次々と取材していきます。正直、個人的にはフード左翼、フード右翼という言葉の定義や論理に関しては共感しづらい所がありました。
しかし、この本の一番面白い点は、色々な角度から取材を重ね、本を読み、行きつ戻りつしながら変化していく著者自身の食に対する意識の変遷にあります。東京で開催されたベジタリアン向けのフェスを訪れるところから始まり、有機農業を営む農家やコミュニティを訪ね、彼らの話を聞き、自ら「フード左翼」の食生活をどんどん体験していき、最終的には右翼から左翼へ転向(!)してしまいます。なぜ転向したのかは、本書を読んでお確かめ下さい。
何を食べるかという個人個人の日々の選択、すなわち食をめぐる消費行動が、政治をも動かしうる、そんな深い問題が確かに「食」には隠されているのかもしれません。自分が毎日何気なく食べているものへの意識が変わる本です。
今回の「土と食べもの」というフェアを企画するきっかけとなった一冊。著者は、大分県で無農薬・無化学肥料にこだわった農業を営みながら、アトピーをはじめ様々な疾患を訴える人々に玄米と野菜を中心とした自然食による食事療法を説くお百姓さんです。私自身は、一人暮らしで不規則・不摂生になりがちな自らの食生活を悔いることが多く、「とにかく簡単でおいしそうな野菜料理のレシピ本はないものか」と思っていた折、この本の後半に出て来る数々の旬野菜のレシピに心惹かれて手に取りました。たとえば、「れんこんのきんぴら」のレシピ。
【材料】
れんこん ゴマ油または菜種油 うるめ削り 自然塩 だし汁または水 すりゴマ
【作り方】
①れんこんは薄い輪切りにして、油で炒める。
②油が回ったら、うるめ削りとしょうゆ、自然塩で味つけし、全体に火が通るまでさらに炒める。焦げつくので、だし汁または水を加えて加減する。
③仕上げにすりゴマをかける。
このシンプルさに妙に説得力を感じ、アトピー治療を目的として書かれた本の前半も読んでみると、昔から皮膚にトラブルの多い自分としては深く考えさせられるような食事療法が説かれていました。著者の主張は、とにかく人工的なもの、化学的なものは一切体内に入れず、「いのち一つ」をまるごと頂く‘全体食’を続けることで体が本来の健康を取り戻すのだ、ということです。例えば、上記のレシピに使われる「うるめ削り」は、かつおの一部だけを使うかつお節に比べ、うるめいわしという魚を丸ごと一匹使っているという点で自然の循環に適っており、体に良い、というのです。
人工的なものを一切口に入れないことはほぼ不可能に近い現代社会で、この本に書かれた食事を日々実現することはあまりに困難ではないか、というジレンマも湧いてきます。読んでどう感じるかは非常に個人差がある本だと思いますが、そのことはさておきとにかく野菜のレシピが美味しそうです!
他にも「土と食べもの」フェアには様々な本を陳列する予定です。寒さ厳しい天候が続いており、春を心待ちにする気持ちでいっぱいになります。多様な生命を育む「土」が動き出す季節はもうすぐそこ。また来月お会いしましょう。
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