私が川口淳一郎さんと初めてお会いしたのは2013年9月14日、青森県八戸市で開催された講演会の控え室。
その講演会は「平成25年度 日本学術会議 東北地区会議公開学術講演会 サイエンストーク『宇宙ファミリー』」という格調高いがヤケに長い総合タイトルが付いたもので、川口さんと私は各々45分間の講演を行い、その後のパネルディスカッションにも加わることになっていた。
川口さんの講演タイトルは「太陽系大航海時代の幕開け」。パネルディスカッションのタイトルは「これからの宇宙開発と宇宙科学――はやぶさ2計画、第2の地球の存在、火星の有人探査等」。どちらも、格調高い講演会にふさわしいタイトルだ。では私の講演タイトルはというと、「未来の有人宇宙旅行――宇宙兄弟のお話」。これは主催者側が勝手に決めたものだが、格調高いとは思えない。あまりに唐突に漫画のタイトル〝宇宙兄弟〟が出てくるからだ。でも、私はこのタイトルを文句ひとつ言わずに呑んだ。格調高い講演会に相応しいとは思えない私の立場を一気に高めてくれる感じがしたから……。
私の女房はJAXA(宇宙航空研究開発機構)所属の宇宙飛行士で、これまで宇宙飛行を2回行っている。その1回目の宇宙飛行が実現するに至る過程を私が詳細に書いた本が『君について行こう』。傑作漫画『宇宙兄弟』誕生には、漫画家の小山宙哉さんが拙著『君について行こう』を読んで下さったのが契機になったという裏話がある。一方、川口さんは小惑星「イトカワ」からサンプルを地球に持ち帰って日本中を熱狂させた「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーを務めた方だが、所属は私の女房と同じくJAXA。そして、傑作漫画『宇宙兄弟』に登場してくるJAXAの理事長はどういうわけか私のソックリさんというのはけっこう広く知られている事実。つまり、漫画の世界では川口さんも私の女房も理事長である私の下に属しているわけで、私が一番エライ立場ということになる。こうなると私の存在意義は一気に高まるし、格調高い講演会には相応しくないなどと萎縮したりせずに堂々と話をしてイイのかもしれないということになる。……もちろん、タダの冗談。だいたい、私は自分の立場など顧みずに頼まれれば何に関しても偉そうに話をしてしまう男だ。子供の頃から大好きな宇宙についてなら尚更。女房を通して深く知るようになった宇宙飛行の世界についてなら尚更以上で、好き勝手に喋りまくる。実際、この講演会でも立場などとは無関係に喋りまくってしまった。
ところで、控え室で初めてお会いした川口さんに対して私が抱いた第一印象は”ヤケに物静かな人だなぁ”。「はやぶさ」の偉業達成とは何となくそぐわない感じがするくらい物静かなのだ。”ホントにこの人があの「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーを務めた川口さん?”と拍子抜けしてしまうくらい。講演が始まれば、川口さんは聞く者を惹き付けてやまない素晴らしい話を展開される。でも、やっぱり物静かという印象は変わらない。講演会が終わって関係者の方々と一緒に食事をしていても同じで変わらない。
傍目に”物静か”というのが川口さんの真骨頂なのかもしれない。
宇宙開発には血湧き肉躍るものがあるというのは間違った考えではないだろう。私も子どもの頃から今に至るまでそう考えている。そう考えているからこそ、子どもの頃から今に至るまで宇宙開発に興味を持ち続けている。でも、宇宙開発に実際に携わっているのは傍から見て血湧き肉躍るような人たちとは限らない。色々な人たちがいる。当たり前だ。たとえば、宇宙飛行士にも色々な人がいる。オーラをビンビン感じさせるような人もいれば、拍子抜けするくらい普通にしか見えない人もいる。ちなみに、前者より後者の方が多いという私の印象は間違っていないと思う。
では、宇宙飛行士のように実際に宇宙に行くわけではなく地上で指揮を執る人はどうだろう? ここで、映画でも有名になったアポロ13号を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。月面到達を目指していたアポロ13号が酸素タンク爆発という非常事態に陥った時に地上で指揮を執っていた伝説のフライト・ディレクター、ジーン・クランツ。気障とも言えるような白いベストを身に付け、葉巻をくわえた如何にもという感じの人だ。オーラがビンビンの人。この人の指揮の下、アポロ13号の乗組員3人は無事に地球に帰還を果たすことになる。しかし、地上で指揮を執るのはこういうタイプの人でないとダメというわけではない。当たり前だ。肝心なのは傍目の印象ではなく、色々な意味での能力だ。
川口さんは宇宙飛行をしている人間を地上で指揮していたわけではなく、無人の小惑星探査機「はやぶさ」を地上で指揮していた。いやいや、この言い方は正確ではない。「はやぶさ」プロジェクトは構想・計画のスタート段階から数えると20年を超えるし、実際に打ち上げてから勘定しても小惑星「イトカワ」で採取したカプセルがオーストラリアに着陸するまで7年間もかかったという気の遠くなるようなものだ。その間、川口さんはいつも先頭に立って指揮する立場にいる。前述のフライト・ディレクターは派手で目立つ存在だが、「はやぶさ」のように長期にわたる気の遠くなるような仕事をしているわけではない。両者の指揮官としての仕事は一見似ているようで、実はまったくと言ってイイほど違うわけだ。その仕事の違いは、指揮官として求められる能力の違いも生む。どちらの能力の方が優れたものというわけではなく、違うというだけのことだけど。
では、「はやぶさ」のようなプロジェクトの指揮官に求められる能力とはどういうものなのか? それがわかるのが本書ということになる。もっと正確に言うと、それもわかるのが本書。
巧みな構成の本だ。読み進むうちに「はやぶさ」プロジェクトがどういう内容のもので、宇宙開発という分野でどういう意義を持ち、どういう経緯で実現に至ったかがわかるようになっている。さらに、実際に打ち上げてからの経緯はどういうものであったかもよくわかる。これだけでも充分面白いし読み応えがあるが、そうした経緯の各段階で川口さんがどんな思いで事にあたっていたかも同時並行の形で丁寧に書かれているのが本書の一番の特徴だろう。そうした思いが川口さんの指揮官としての能力に相当するもので、私たち日本人がこれから創造的な仕事をしたりビビッドな人生を送る上で実に参考となるものとなっている。実に巧みな構成と言わざるをえない。
さまざまな段階で川口さんが抱くさまざまな思いには共通したものが1つあるように私には思える。すべての思いに通奏低音があると言った方がイイかもしれない。それは、〝いつも物事をとても長期的に考える〟だ。川口さんのそうしたスタンスには凄味すら感じる。これはやっぱり能力なんだとも感じる。
プロジェクト開始前からわかっている極めて高いリスク。気が遠くなる期間に絶え間なく現れる解消困難と思えるようなトラブル。そうしたことで何回も立たされる絶望の淵。それでも決して諦めない。こういう仕事に立ち向かうのであれば、いつも物事をとても長期的に考えなければいけない。
この通奏低音から生まれるさまざまな思いには斬新で驚かされるものもあれば、ヤケに日本的で驚かされるものもある。
たとえば、「はやぶさ」プロジェクトは減点法ではなく加点法で評価して欲しいという斬新な思い。減点法は失敗をカウントするが、加点法は成功をカウントする。減点法ばかりでは失敗を恐れない新しい試みや質的転換は生まれない。こんなこと私は考えたこともなかったが、言われてみるとたしかにそうだ。
「イトカワ」から採取したサンプルが容器にきちんと入ったかどうか確認できる装置を付けるべきかの議論で川口さんは思う。もし入っている場合、それは地球に帰還すればわかる。帰還できなければ、入っていようがいまいが、サンプルを入手できないことに変わりはない。入っていない場合は、それがわかるだけ。入っていないことがわかって何の意味があるのか。悔しいだけだ。それなら、いっそ知らない方がイイ。で、「『早く良いニュースを聞きたい』と思うな」、「悪いニュースを早く知ってどうする」となる。こんな思考法、私はしたことがない。でも、言われてみるとたしかにそうだ。
たとえば、チェックシートと睨めっこをするシステムエンジニアリングを学んだだけでは「はやぶさ」のようなプロジェクトの立ち上げや進め方は身につかないという川口さんの主張には、その通りだろうなと思う。ではどうしたらイイのかとなるが、経験を積むしかない。一番適しているのは職人的親方徒弟制。ヤケに日本的な主張だが、これにもその通りだろうなと思わせるものがある。
「はやぶさ」が音信不通に陥ってしまったとき、川口さんは飛不動尊で木札を求め、それに無事帰還、大願成就という言葉を添えて祈祷してもらっている。ヤケに日本的な神頼みだが、自分にできることとできないことの境界線をきちんと認識していればできることだけやってあとは祈るだけ。ごもっともと言うしかないというか、嬉しくなる。
それでは最後に、どうして川口さんはいつも物事をとても長期的に考えることができるのだろうか。この疑問に対する答えは、「川口さんは宇宙を相手にしているから」にしておきたい(答えは違う可能性も高いけど)。この世に宇宙ほど長時間かけて形成されたものはないわけだし。
(2013年12月、医師)
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