「世界記憶力選手権は、記憶力というよりも創造性を測る選手権だ」(トニー・ブザン)
著者はサイエンス系のフリー・ジャーナリストである。ふだんは『ナショナル・ジオグラフィック』誌などに向けた記事を書いているが、思いつきから記憶術の取材を始めたところ、自身がそのトレーニングを受けることになる。本書では、トレーニングを重ねつつ、記憶術のメカニズムを探るべくその背景の歴史・科学を取材し続け、ついには全米記憶力チャンピオンにまで登り詰めてしまったという著者の顛末が記されている。
記憶術の起源は今を遡ること2500年、紀元前5世紀の悲劇にある。ケオスのシモニデスという古代ギリシャの詩人が、天井が崩れ落ちた悲劇の宴会場で客人たちが座っていた位置を思い出すために編み出したと言われ、その方法は「記憶の宮殿」と呼ばれている。後の研究で体系立てられてきたものの、記憶術の要諦はこのときに発見された「ごくシンプルな」テクニックを用いて「覚えやすい方法で考えること」を習得するという、この2点に集約されると言える。
著者も「記憶の宮殿」を応用し、脈絡なく並んでいる情報を「空間記憶」へと格納する訓練に取り組んでいる。例えば、
– ガーリックのピクルス
– カッテージチーズ
– サーモン(できればピートスモークのもの)
– 白ワイン6本
というリストを私の自己流にアレンジして覚えるなら、まず自宅マンションを思い浮かべ
ドアノブがガーリックのピクルスになってしまい、握るとヌメリで手にニンニク臭が染みてしまった。玄関の床はとろけたチーズでヒタヒタ、足を踏み入れるとお気に入りの靴が台無しに。部屋に入ろうとすると、のれん宜しく燻製鮭が吊るされ白目をむいてこちらを睨んでいる。リビングテーブルでは美女3人組が、それぞれ両手に白ワインを抱えて自分の帰りを待っていた。
といった具合だ。大切なのは、よく知っている場所を「宮殿」に選ぶこと。そして五感に強烈に訴えるイメージで捉えると、どんなリストの項目でもまず間違えなく覚えられる。
ひるがえって現在の日常生活では、記憶場所は我々の脳から携帯端末や外部記憶装置へと置き換わっている。物事を記憶する機会は減る一方だが、記憶の蓄積が無駄・無用になってしまうことはない。特定分野の専門家のここ一番でのひらめきは、熟成された記憶から繰り出される。
たとえば「ひよこ鑑定士」。世界最高の技術を誇る全日本初生雛鑑別協会の養成所の卒業生は、雛の性別を見分けるために総排泄腔の構造パターンを1,000通り覚えておく必要がある。難しいケースでは、超一流の鑑別士でさえも鑑別法やその技術は言葉で説明できないが、雄か雌かが3秒以内に「わかる」という。この「直観」は養成所時代から単位取得のために少なくとも25万羽の雛を見ることから始まり、長年にわたる経験によって培われている。これは論理的思考力・分析ではなく、パターン認識・記憶のなせる業なのである。
同様のパターン認識による洞察は、常人には思いもよらない一手を指すチェスの名人、客の注文をメモせずに覚える熟練ウェイター、初見のスコア(総譜)を暗記してしまう世界的なヴァイオリニストなど、他の分野の達人にも見られる。
何よりも、記憶は私たちの価値観の基盤であり人格の源泉である。私たちは記憶によって形成された習慣の集合体にすぎない。私たちの実態は、記憶のネットワークなのである。どんなジョークも、発明も、洞察も、芸術作品も、少なくとも今の時点では、外部記憶によって作られたものではない。面白いことを見つける、複数の概念を結びつける、新しいアイデアを生み出す、文化を伝える―そういった行為の基盤には、必ず記憶の力がある。私たちは記憶力を育てていかなくてはならない。
この他、本書には記憶術を巡る著者の読ませるエピソードが目白押しで、決して読み手を飽きさせることがない。口承文化として発展した「詩」に込められた記憶術 (=リズム・韻・型といった構造がある上、視覚化しやすい)の歴史秘話、世界一「忘れっぽい」人である健忘症患者の記録をたどる一方、特異な記憶の技能を示す「サヴァン」に会って話を聞く一段はサイエンス・ノンフィクション、そして物語のクライマックス、全米記憶力選手権直前の特訓と本番決戦の模様は鮮やかなドキュメンタリーと、筆致・話題ともにバリエーションに富み、読み応えある一冊に仕上がっている。
ところでこの本のタイトル、皆さん今から復唱できますか?