先ごろ、岩手県平泉が世界文化遺産、小笠原諸島が世界自然遺産に認定され、地元は大変な喜びようであったことは記憶に新しい。さらに「世界記憶遺産」に山本作兵衛の炭鉱画が選ばれ、昨日、認定書が田川市に届いたというニュースが入った。
実はユネスコの世界遺産のなかにこのようなジャンルがあることを初めて知った。聞けば「アンネの日記」や「ベートーベンの第9草稿」、「フランス人権宣言」などが登録されているという。その中に幼い頃から炭鉱で働き、60歳を過ぎてから初めて絵筆を握った人間の絵が登録されたのだ。
『画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録』は1967年、山本作兵衛75歳のときに出版されたものだ。今回の世界遺産登録を記念して、巻末に金子光晴、石牟礼道子、菊畑茂久馬、南伸坊の書評を付けて新装版として発売された。
本書は「ヤマの生活」「ヤマの米騒動」「ヤマの労働」の3部に分かれている。
明治25年(1892)に福島県に生まれた山本作兵衛は、石炭運びの川船船頭だった父親の転職により、8歳で炭鉱に移り住んだ。住居環境は劣悪、収入も乏しく、子沢山な一家は母親も炭鉱に入って働くしかなかった。子供の頃の記憶は鮮明だ。ランプの掃除や父親のツルハシ運び、山で発行され、そこでしか使えないキップ、行商人や興行の絵は生き生きとしている。
「ヤマの米騒動」は日本最初の労働争議だろう。値上がりする米の値段に上がらない給金。下罪人と呼ぶ労働者たちが立ち上がり、まさに一斉蜂起したのだ。作兵衛の兄もこの騒動で逮捕されている。
この時代を全く知らない者にとって興味深いのは「ヤマの労働」だろう。8歳で坑内に入りその後50年にもわたり坑夫として働いてきた作兵衛にとっては当たり前のことだろうが、現場で使われていた言葉、ひとつひとつが興味深い。
二人で一組となり、先山と呼ばれるものがツルハシで石炭を掘り進み、後山がそれを外に運び出す。様々な小説で読んだことはあったが、それが緻密な絵となって、目の前に出されると驚くばかりである。
辛い仕事だから坑夫たちは歌う。
坑夫坑夫と けいべつするな
石炭(いし)は畑にはえはせぬ
二度となるまい 坑夫のかかにゃ
岩がどんとくりゃ 若後家よ
http://www.youtube.com/watch?v=Up9p7Y5sHLc
ガス爆発で全身やけどした男が、キツネに体中の皮を剥がれて死んだ話や若くして落盤で死んだ少女の幽霊話、ヤマでの縁起かつぎなど文章だけでは伝わりにくい物語も、彼の絵があることで、世界中の人たちにも伝わっていく。
1984年、92歳で亡くなるまで矍鑠とした老人であったらしい。孫のためにと描き続けた絵が、まさかこのような華々しいことになるとは思いもよらなかっただろう。ドキュメンタリー映画のDVD化も決まった。日本人初の快挙をぜひ自分の目で確かめて欲しい。