安全・自由・親密さ
本書は、1人の天才 そう称して良いであろう 数学者の伝記である。
ジョン・ナッシュ(ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア)の名前は、「ナッシュ均衡」にその名を残す数学者として、また一般には、ロン・ハワード監督、ラッセル・クロウ主演でアカデミー賞四部門を獲得した映画『ビューティフル・マインド』(2001)とその原作本によって広く知られている。ナッシュは、プリンストン大学博士課程在学中に発表した、非協力ゲームに関する研究で博士号を取得し、この論文をもとにした研究 「ナッシュ均衡」として知られるようになった の功績によってノーベル賞を受賞している。
もっとも、この業績に対する彼自身を含む専門家の評価はそれほど高いものではなく、むしろナッシュの天才性は、その後のリーマン多様体への埋め込み問題などに関する仕事において発揮されたと考えられている。
こうした業績については完全に私の専門外なので論評のしようもない。しかし本書の主題もまた、ナッシュの業績の再評価にはない。むしろ本書は、1人の天才数学者が、統合失調症(かつての「精神分裂病」)という困難な病といかに戦い、いかに克服したかについての貴重な記録として読まれるべきであろう。
精神医学には「パトグラフィー(病跡学)」と呼ばれるジャンルがある。天才の作品や伝記資料を精神医学的に検討し、その創造性を病理性との関連において分析する学問である。ロンブローゾの天才論以降、フロイト、ヤスパース、クレッチマーらによって発展的に受けつがれ、精神病理学や芸術療法などにも大きな影響をもたらしてきた。
本書はそうした病跡学の視点から読んでも、まことに興味深い。ただし、通常の病跡学的な視点が「創造性」に重きをおいたものであるとすれば、本書の主眼はおそらくそちらにはない。本書において、精神医学的に最も興味深い点は、不幸にして統合失調症に罹患した天才が、その病の進行から見事に生還(寛解)していく過程のほうにある。
それらの点については後述するとして、さしあたりナッシュの創造性と病理性の関係について簡単にみておこう。
繰り返しになるが、ナッシュの仕事の斯界における真価は、私には論評のしようもない。しかし、彼の仕事に対する姿勢において、後の統合失調症の発症を予見しうるような、さまざまな「徴候」が見て取れるように思われる。
偉大な業績を次々と達成した20代後半のナッシュは、天才の名をほしいままにしつつも、大学では一種の奇人として知られていた。同僚からの風評も「『冷淡』、『高慢』、『無感情』、『付き合いにくい』、『気味悪い』、『自閉的』、『偏屈』というのがおおかたの見方だった」(36頁)とある。
ここにはすでに、典型的な「分裂気質」(統合失調症の病前性格)の特徴がそろっている。論理性への異常な固執は、その一方で日常的に自明とされることへの疑問や軽視につながった(「どういうわけで、みんなハローなんて言うんだ?」(同前))。ドイツの精神病理学者・ブランケンブルクによれば、「自明性の喪失」もまた、統合失調症の基本的な病理とされている。
彼の創造性は粘り強い思考や計算からではなく、一気に「直観」としてもたらされていた。「リーマン、ポアンカレ、ラマヌジャンといった多くの偉大な直観主義の数学者と同じく、ナッシュも最初にヴィジョンを目にし、そののち苦労して自らのヴィジョンの正しさを証明した」(34頁)という。
ほとんど読書をしなかったというナッシュにとって、過去の知識の蓄積などは、およそ関心の埒外だった。彼は「誰の講義も受けず、誰に師事しようともしなかった」(同前)。彼の関心事は、ひたすら目の前にある未知の難問に集中していた。若きナッシュの爆発的な創造力の源泉は、彼自身のこのような知性のスタイルにあったとも考えられる。どういうことだろうか。
ナッシュの「病理」を理解する上で、もっとも参考になるのは、精神科医・中井久夫氏による統合失調症論である。中井氏はこの疾患を発症しやすい人を「分裂病親和者」と名付け、その特性として「微分回路的認知」と「徴候」への敏感さを挙げている。
「微分回路的認知」は、「先取り的な構え」とも言い換えられる。微分回路とは、「航空機の速度計」や蛙の視覚のように、過去の経験の蓄積に依存せず、刺激の変化分だけに反応する回路のことだ。ごく微妙な変化にも敏感に反応するかわりに、急激な変化や不意打ちには弱く、動揺しやすく不安定で、長期的には非常に疲労しやすいシステムである。こうした傾向は、中井氏が指摘するとおり、統合失調症者の認知特性に見事にあてはまる。
ちなみに微分回路に対比させられるのは積分回路であり、その特性は入力にたいしては過去に蓄積されたデータを参照しながら反応する点にある。安定していて不意打ちにもあまり動じない代わり、反応が「時遅れ」になりやすい。こちらは「うつ病」の認知特性に近いとされている。
後年、中井氏は、論文「世界における索引と徴候」(『徴候・記憶・外傷』みすず書房)において「徴候」という概念を提示する。
「世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するところでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、いわば眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界である」
「ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平に明滅しているものほど、重大な価値と意味を有するものではないだろうか」
すなわち分裂病親和者は、微分回路的認知のもとで、さまざまな「徴候」にいち早く反応するような認知特性を持っている、と氏は言うのである。
私の考えでは、いわゆる直感型の天才の多くが、こうした微分回路的認知特性の持ち主だ。彼らはいわば、自らの内面に生起してくるさまざまな「徴候」に反応しているのだ。いまだその全貌は定かではないアイディアの塊が、このうえなく確かな存在感とともに、自らの内に明滅する。彼らはその徴候をすばやく捉え、その先にあるはずの真理を確信しつつ、アイディアの実証作業に励むのだ。ナッシュの資質とは、そうしたものではなかったか。
このように言いうるのは、私自身が自他共に認める分裂気質者であり、文章を書く際にはその過程で降りてくる「アイディアの徴候」を何よりも大切にしているためである。ナッシュと比肩しようなどという大それた意図は毛頭ないが、もしこの点への共感がなければ、ナッシュの苦悩も共感的には理解し得なかっただろう。
本書におけるほぼ唯一の疑問点は、ナッシュの発症に関する著者の解釈である。映画版の「政府から敵対国の暗号解読を強要されたストレスで発症」というストーリーは、悲劇性を強調するあまり事実関係を無視しているが、本書における「リーマン解析に行き詰まって発症」という仮説も、それのみが決定的であったとは考えにくい。
もちろんそうしたことも、要因の1つには挙げられよう。しかし無視できないのは、若きナッシュにおけるあくなき野心である。「ナッシュは自分の力量を示したいという、ますます強まる衝動に駆られていた」(543頁)とあるように、当時のナッシュはきわめて強い野心と権力志向を持っていた。彼は決して学内政治で派閥を牛耳るような俗物タイプではなかったが、所属機関の序列やフィールズ賞などへの執着はきわめて強かったのはあきらかだ。「リーマン解析」への固執も、問題そのものへの関心以上に、誰も解けない難問を解決して名を上げたいという野心が最大の動機ではなかったか。
ナッシュの人生の一時期を彩ったさまざまな妄想にも、広義の権力欲が透けて見える。もっとも、妄想は幻聴などに比べて統合失調症に特異的な症状とは言えないため、その病理の解明も十分にはなされていない。ここでは再び中井の「権力欲がないところに妄想もない」という言葉を引用しておこう。
もう1点、注目されるのは、ナッシュが一時期、必死でアメリカ国籍を捨てようとしていた事実である。もちろん徴兵への恐怖もあっただろうし、それ以上に冷戦時代の緊張感や核戦争への危機感が発症の背景に色濃く影を落としていたこともあるだろう。ナッシュの妄想に世界政府の構想が頻出することも、不安定な社会情勢からの強い影響を示唆している。
さて、筆者が本書において最も興味深く感じた点、彼の寛解過程について考えてみよう。
本書を読んでいて最も痛ましく感じられるのは、もしこの時代に非定型抗精神病薬(MARTA)があったら、という思いが拭いきれないことだ。ある時点からナッシュもそうした薬物を服用しているようだが、これらの薬物はしばしば初期の統合失調症に対して劇的な効果を発揮する。オランザピンなどは、糖尿病のリスクはあるものの、人格水準の低下を最小限に抑えながら、少量で安定的な寛解状態に導く薬物としてずいぶん重宝している。
しかし幸いなこともある。彼の家族、とりわけ妻のアリシアが、電気ショック療法に消極的だったこと、さらに幸運だったのは、ナッシュがロボトミー手術を免れたことだ。時代背景から考えて、その可能性は十分にあり得た。
抗精神病薬が導入される以前、ロボトミーは統合失調症の画期的な治療法とみなされ、アメリカや日本で盛んに実施された。開発者であるポルトガルの神経科医エガス・モニスは、1949年のノーベル医学・生理学賞を受賞している。しかし致死的な副作用があり、抗精神病薬の導入以降は非人道的な治療として、全世界的に事実上の禁忌となっている。本件はノーベル賞におけるスキャンダルの一つと言いうるだろう。
その後の経過についてもナッシュの人生は示唆に富むものである。
なぜなら彼の人生そのものが、統合失調症の寛解論と言うべきものだからだ。不治の病、あるいは精神の癌などと呼ばれていたこの疾患が、実は相当程度自然治癒しうる疾患ではないかということは、かねてから指摘されていた。うつ病ですら約50%は自然寛解するといわれる。
しかし精神科医の立場では、そうした事例に接する機会はあまりない。それゆえわれわれは、統合失調症患者の当事者と家族には、それが進行性の疾患であり、しばしば人格の荒廃にいたる慢性の経過をたどる可能性があり、長期間の薬物療法が必須であると伝えざるを得ない。
しかし、われわれが知っている慢性期の統合失調症、とりわけ欠陥状態などと呼ばれる彼らの状態は、巨大施設収容主義の産物ではないかとの中井の疑念も無視するわけにはいかない。基本的に入院病棟でしか統合失調症を診てこなかったわれわれ精神科医は、ひょっとすると統合失調症の自然な寛解過程を知る機会を持てなかっただけではないのか。
この問いかけはずっと私の頭の片隅でうずいていた。
もちろん、ナッシュが当時としては例外的な幸運に恵まれたケースだったことも忘れてはならない。インスリン・ショック療法は受けたものの、さらに侵襲的で危険な治療は免れたこと。自殺の危機が入院治療によって回避され得た可能性。加えて、いたずらに長期間の強制的な収容は免れたこと。最初期の抗精神病薬であるクロルプロマジンに良く反応するタイプの患者であったこと。しかし最大の幸運は、妻アリシアをはじめとする、多くの支援者に支えられていたことだ。
彼が求めていたものは「自由であること、安全であること、親しい友人を持つこと」(779頁)であったという。この何気ない要求は、統合失調症の治療においては本質的なものを含んでいる。われわれ精神科医は、しばしば「安全」を優先するあまり、「自由」や「友人」を犠牲にせざるを得ないことが多い。しかしナッシュにとっては——著者も指摘するように——プリンストン大学の環境が「狂気を吐き出す受け皿」(796頁)として、あるいは安全、自由、親密さを与える器として機能したのだろう。
私はナッシュの寛解過程から、ドイツの精神科医ルック・チオンピによる「ゾテリア・ベルン」(スイス)の試みを連想せずにはいられなかった。薬物を使用しない統合失調症治療の試みとして世界的に有名な施設である。病院ではなく民家を利用し、患者には常時看護士が付き添い、治療部屋は壁も床もスポンジで柔らかくしたソフト・ルームを用いる。統計的に本治療法は薬物療法と同程度の効果があり、予後の良さでは格段に優るという。
安全と自由と親密さ。治療場面で、そのすべてを確実に保証することはきわめて困難だ。しかし、もし状況がそれを許すチャンスが与えられたなら、われわれは本当に必要最小限の薬物のみで、この困難な疾患と対峙しうるのかもしれない。
そうした意味で本書は、悩める精神科医にとって、そして誰よりも統合失調症に苦しむ当事者とその家族にとって、その大いなる希望の書としての価値を失うことはないだろう。
(平成25年9月、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授)
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