今年の5月14日、女優のアンジェリーナ・ジョリーが、乳がん予防のために乳房を2つとも切除したことをニューヨークタイムズに告白した。なぜ、まだ健康なうちから、切除という決断をするに至ったのか。
私の母親はほぼ10年間、がんと闘い、56歳で亡くなりました。……私にも“変異した”遺伝子、BCRA1があり、それは乳がんや卵巣がんにかかる可能性を極めて高くします。
手術は、遺伝子検査の結果に基づく決定であった。そして、この乳がん遺伝子「BRCA1」は、米国のベンチャー企業ミリアド社が特許による独占権を主張している遺伝子である。
本書は、いよいよ激化する遺伝子検査ビジネスについて、特許の視点から書かれたものだ。著者は2001年のNHKスペシャル「人体特許」のプロデューサーであり、本書は、その後の2013年までの動向を俯瞰している。内容は特許のみにとどまらず、大きな社会的影響力を持つに至った遺伝子ビジネスの歴史と最新動向を把握することができる。
アンジェリーナ・ジョリーが将来乳がんにかかる確率は、検査の結果、87%とわかった。このような「発症前診断」は他の疾患についても可能だ。
Googleの創始者セルゲイ・ブリンの妻アン・ウォジツキがCEOを務める23andMe社は、遺伝子の塩基配列の変化(SNP)を100万個所検査するキットを通信販売している。今年から99ドル、1万円以下だ。これを使って分析できるのが、下記である。
・自分が将来かかる可能性がある疾患(120疾患)
・子供に影響を与える可能性がある疾患(50疾患)
・薬剤応答の合う・合わない(21薬剤)
・体質(肥満、アルコール反応、食べ物の好き嫌い、癖毛かどうか等、58種類)
・祖先に関する情報(地域・民族的ルーツ、1万年前まで)
手順は簡単、送られてきた容器に唾液を入れて送り返すだけだ。2週間後には、結果をWebサイトで見ることができる。このキットは2008年の「タイム」誌の最優秀発明品となった。2006年がYouTube、2007年がiPhoneであったことからも、その注目度の高さがわかる。
このような検査サービスを提供しているのは23andMe社だけではない。2013年2月の経済産業省の報告書によれば、個人向け遺伝子検査ビジネスを行っている企業は89社、そのうちアメリカの企業が52社であるという。市場は飛躍的に伸びており、2010年には3750億円との調査結果がある。
このビジネスに非常に密接に関連しているのが「特許」だ。アメリカ国立衛生研究所(NIH)のフランシス・コリンズ所長によれば、「1990年代には遺伝子特許のゴールドラッシュが起こり、ヒト遺伝子の1/3程が既に特許申請されている。そして、そうした特許の多くが認可されている」という状況である。
例えば、乳がん遺伝子BRCAはミリアド社が特許を取得しており、これを用いて、他組織での関連研究の中止要求をしたり、高額な検査費用の設定したりして物議をかもした。本書によれば、この特許以外にも、2012年10月時点でアメリカ合衆国には約15360件もの遺伝子特許がある。このような状況は、日本にとっても無関係では無い。本書には日米欧の先端医療における特許対象の違いが整理されているが、今後、国際的な環境が整備されていくであろうことは明らかである。著者も、「人体特許のハードルは年々確実に下げられていく…」と述べる。
人間のDNAが特許になるというのは、どういうことだろうか?なんだか、生きているだけで特許違反しているようだ(実際はそうではない)。本書は、HIVにさらされてもエイズにかからなかった画家の話で始まる。CCR5とよばれる遺伝子に変異があった彼は自ら研究所に出向いて血液を提供したが、自分のDNAが特許となっていたことは後々まで知らされなかった。ぜんそくの原因遺伝子の研究の舞台になった「世界で一番遠い島」トリスタン・ダ・クーニャの島民も、自らが知的財産の源になるとは思っていなかっただろう。
著者は、「生命特許」「遺伝子特許」の論点を、1972年のチャクラバティ裁判まで遡って整理していく。乳がん遺伝子BRCAに関する判断は、連邦最高裁にまでもつれこんだ。日本では、バイエル社がiPS細胞に関連する特許を取得して騒動になった。京都大学の「特許は独占を防止するものです」という無償ポリシーが興味深い。
遺伝子検査技術は多くの議論を呼んでいる。アメリカでは、保険・雇用の判断材料として遺伝子検査を使用するケースが発生して問題となった。また、先月、23andMe社の「両親の唾液を検査することによって、産まれてくる子どもの特徴を予想する」という特許が認められ、「デザイナーベイビー」につながりかねないと批判されている。現在、さまざまな物議をかもしている「人体特許」。この状況自体が、今それが最前線の分野であることの証明なのかもしれない。
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