最も強い者が生き残るのではない。最も賢い者が残るのでもない。
唯一生き残るのは変化する者である。
ビジネスの現場において、これまで何度この言葉を聞かされたことだろうか。人類の生存戦略を簡潔に表したこの言葉は、言わば企業の生き残りをかけて戦う姿勢を鼓舞するワードとして、数多の局面で使われてきた。
この言葉は裏を返せば、滅んだもの達は変化に適応できなかったと言う意味を含んでいる。だが、果たして本当にそうなのだろうか。既に姿を消したヒト集団は愚鈍な野蛮人に過ぎず、現生人類こそが優れていたから生き残れたのか。これを本書では、現生人類とも接点の多かったネアンデルタール人に注目することで、真相を探っていく。
猿人→原人→旧人→新人→現生人類へ。教科書などでよく見かけるシンプルにまとめあげた図式には、多くの誤解を生み出す要素もはらむ。生命が歩んできた道筋は遺伝的・文化的情報の蓄積と消失によって形づくられるため、生き残った者だけを見れば、生命は絶えず発展を続けてきたと考えてしまいがちだ。
だが進化の物語は複雑で、一本の線で表せるような単純なものではない。同じ時代に複数の人類種が共存することは珍しくなかったし、早期現生人類から現生人類への変化にも地域差があり、段階的で緩やかに行われていたようである。
この事実を本書では、空間軸を中心に二つの人類の動きを追いながら見ていく。パラメーターに時間軸を設定し、現生人類、ネアンデルタール人達の拡散を地図上にプロットする。進化の長い道のりの間には、生物学的変化を経験することによって広範囲への地理的拡大が可能になった事例がいくつもあるのだ。むろんそこで運命を大きく左右するのは、気候という要素である。
またその際に、時間のスケールを意識することも重要な視点である。見落とされがちなことではあるが、ネアンデルタール人はヨーロッパとアジアの地で30万年のあいだ命をつないだ。これは私たち現生人類が地球上に出現してからよりも、はるかに長い年月であり、その栄枯盛衰にはイノベーションもあれば、変化への適応も存在した。
やはり歴史は重なり合うところが面白い。現生人類はたしかに成功した集団として今日まで残ってきたが、そのプロセスを追いかければ、豊かな環境を独占していた集団に常に周縁部に追いやられていたということがよく分かる。
それなのになぜ、我々は生き残ることができたのか?この問いに対して著者は、「能力と運のおかげ」であったと説明する。「偶然」もまた、人類の物語を儚くも美しいものに彩ってきた。現生人類は成功集団の周縁部に生きるイノベーターであったが、必要にせまられさまざまな工夫を重ねるうちに、たまたま運が味方し、繁栄を勝ち取ることが出来たのだ。
周縁の世界とは開けた平原と森林の境界に位置するような場所にあり、そこでイノベーター達は両方の世界で生きられるように進化を遂げた。これは結果が伴わなければ、ただの日和見主義と蔑まれる恐れもあっただろう。実際に、現生人類の祖先の一派が、中東において絶滅したという記録も残されている。だが結果的に我々は「適切な時期に適切な場所にいる」という幸運に恵まれたのだ。
現生人類にとっての「適切な時期の適切な場所」とは、まさしくトバ噴火の直後にインドにいたことを指す。気候の悪化によりインドのサバンナが消失しはじめたころ、新しいサバンナが南東へと広がった。ある場所ではサバンナを乾いた荒野に変えた気候変動が、別の場所では熱帯雨林の縮小を促すことになり、運良くオーストラリアに辿り着くことが出来たのだ。
一方、ゴーラム洞窟付近にいたネアンデルタール人は、気候の悪化、集団の孤立、資源の欠乏といった困難に直面した。大型哺乳類の奇襲を専門としていた彼らは、海洋資源を利用するなどの適応は行ったものの、ユーラシア南西部という最果ての地が彼らにとって不運であった。気候の変動とともに南下したくとも、行く手はジブラルタル海峡に阻まれていたのだ。
あらゆるヒト集団が夢見たのは、未来を手なづけることであった。進化の世界においては、まだ知ることのない未来に適合した者が成功する。だから、地球上に生命が誕生してから現在までの気の遠くなるような歳月を通じて、成功者はいつも少数派であったのだ。
進化の歴史はあまりにも複雑で、そこから教訓を得ようと思えば、いくらでも思惑どおりに引用することが出来る。それはまさに故事や言い伝えなどにおいて、相容れない二つの解釈が時に同居していることにも近いだろう。
そのうえで、本書の着眼は「努力」というものをどのように捕らえるべきかという観点において非常に示唆に富む。生死をかけた極限に追い込まれれば、人は自ずと適応する。それが吉とでるか、凶とでるかは、運次第。
すなわち、変化に対する適応とは、「努力」の末に獲得するような行為なのかということだ。ビジネスの世界であれ、プライベートの領域であれ、そのものが「生きる」ということと同義であるほどに没入できる対象を見つけることが勢力を注ぐべき点であり、それこそが進化の本質であるということを指しているのではないだろうか。
『ネアンデルタール人 奇跡の再発見』の著者が解説を書いており、本書の執筆後の動きなどが、フォローされている。東えりかのレビューはこちら。
朝会に持っていって、腰を痛めました。
内容に賛否はあるが、解説の切れ味含めて興味深い一冊。
手元に一冊あると、本当に便利。レビューはこちら