書店でタイトルを眺めつつ、犯罪の予測といえば、フィリップ・K・ディックの「少数報告」だよな、などと思いながら手に取ると、まえがき1ページ目でそのことに触れており、一気に著者に対する親近感が増してそのまま購入してしまった。
もちろん、本書には予知能力者のプレコグたちを使った犯罪予知法が書かれているわけではない。著者は、日本人として初めて英ケンブリッジ大学で犯罪機会論を学び、帰国後は「地域安全マップ」を提唱した人物だ。その文章は明晰で論理的、そのうえリズムがあって心地よく読め、著者の頭の良さがよくわかる。
地域安全マップ作りは、地域の人々が実際に町を歩いて犯罪が起こりそうな場所をマッピングしてゆくことだ。著者が定義する犯罪が起こりやすい場所とは「入りやすく、見えにくい場所」。実にシンプルだが、本書を読めば読むほど非常に腑に落ちる定義である。自分の住む町を歩き、「入りやすく、見えにくい場所」を探して地図に書き込んでいく。この作業は参加者が夢中になるほど面白いそうだ。そして大事なのはできあがったマップではなく、マップづくりの作業そのものだという。マップづくりというフィールドワークを通して、地域の人たちが「入りやすく、見えにくい場所」を認識する景観解読力が高まり、その結果、危険予測能力も高まって、犯罪を回避する行動ができることが重要なのだ。
2008年には政府による「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」にも取り入れられ、小学校への導入も進んでいるが、「残念ながら、そのほとんどは『間違った作り方』をしている」と著者は言う。最たるものは不審者出没情報などに基づいて不審者の場所を記入したマップだ。まず子どもたちからの情報による「不審者出没情報」そのものが信用できない。不審者といえばマスクにサングラスというステロタイプがあるが、実際、ほとんどの犯罪者はごく普通の人のなかに巧みに紛れている。
実際には見た目で区別がつかない犯罪者を、無理に見た目で区別しようとするため、見ただけで自分たちと違う人達がターゲットになる。そこでホームレスや知的障害者、外国人の居場所がマップに掲載される、というとんでもない人権侵害も起きているそうだ。また実際に被害に会った子どもたちから犯行現場を聞き出そうとすることで子どものトラウマを悪化させる懸念もあるという。
さらに著者は、ほとんどの小学生が携帯している防犯ブザーの有用性にも疑問を呈する。子どもへの犯罪の5割以上が甘言を用いて騙したものだ。子どもが犯人を信用してしまった以上ブザーを鳴らすことはない。そういった犯人は決して「サングラスにマスクの怪しい男」ではない。真の犯罪者は巧みの子どもたちを騙す一方、たまたまマスクやサングラスをしていた風体の悪いおっさんたちが防犯ブザーを鳴らされることになる。品川区では防犯ブザーが鳴ると自動的に救難信号が市役所に送られるシステムを構築しているが、なんと99.9%が誤報。「おおかみ少年」ではないが、ここまで誤報が多ければ救難信号を受け取る側の危機感もモチベーションの低下するのは間違いない。
地域パトロールの効果についても言及する。空き巣犯が犯罪を諦めた一番の理由は「近所の人に声をかけられたり、ジロジロ見られたりしたこと」だという統計があるから、一定の効果があるように思えるが、注意しなければならないのは、これは「捕まった空き巣犯」の証言であることだ。著者の計算では空き巣犯の4分の3は捕まっていない。捕ったのは間抜けな少数派だ。実際に長年に渡り多数の犯罪を続けた者では、住民たちと普通に会話を交わしている例がいくつも発覚している。少数派の間抜けな犯罪者の話を聞いて対策を練っても、多数派である巧妙な犯罪者には屁でもない。さらなる間抜けな犯罪者が捕まるだけだろう。
パトロールに関しては、現在行われているランダムなパトロールではなく犯罪が起こりそうな場所(すなわち、見えにくく入りやすい場所)を重点的に見るホットスポット・パトロールを推奨している。そしてそのホットスポットへの滞留時間は15分がベスト。ペンシルバニア大学のクリストファー・コーパーが発見した滞留時間と防犯効果の関係を示したコーパー曲線から算出されるのだ。
このように著者の論理にはきっちりエビデンスがある。最近の犯罪学の傾向である「証拠に基づく犯罪対策(evidence-based crime policy)」に則っているだけでなく、著者は証拠となる統計自体も厳しく検討している。また統計的数字のような「量的な」証拠だけでなく、フィールドワークやインタビューのような質的証拠も重視する視野の広さがある。
犯罪は暗い場所で起こる、というがこれも間違いだ。窃盗は午後2時〜4時にもっとも多く起こり、午前2時〜4時までの2倍。防犯に効果的といわれる夜の街灯だが、街灯を設置したことでひったくりなどを誘発した例もある。統計的にも場所によっては街灯を設置したことで犯罪率が高くなることがわかっている。真っ暗では犯行対象が強そうか弱そうか、好みの顔立ちをしているかなどが区別できないし、逃走するのも難しい。犯罪者も普通の人と同様、明るいほうが好きなようなのだ。
加えて近年犯罪を減少させると話題の青色防犯灯の効果にも著者は疑問を呈す。「イギリスのグラスゴーで青色の街灯を導入したら犯罪が減った」とのテレビ番組がきっかけだったそうだが、著者はグラスゴーまで出かけて真相を探るのだ。まず、警察にも市役所の地域安全課にも青色防犯灯の担当者がいない。実は青色の街灯を担当しているのは市役所の都市再生課。青い街灯は、イメージアップを目的とした「青色ライトアップ灯」であり、しかもグラスゴーの目抜き通りだけに設置されていて、他の街灯は白かったのだ。言うまでもなくこれでは街全体の犯罪率に影響を及ぼせるはずもない(尚、青色街灯設置の根拠には色彩心理学の研究成果もあるというが、こちらについても著者は明解な論理で「根拠にはならない」と指摘している)
さらに、監視カメラについては、抑止力を持つのは車両犯罪など対物犯罪が主であり、また設置場所をによってその抑止力は減殺されることや、日本の公園とトイレが非常に犯罪者好みの設計であることなどを指摘している。
これらの現実を踏まえたうえで、防犯に有効な方法を提示する一方、後半では、著者の専門である犯罪機会論の成り立ちや、『羊たちの沈黙』で知られるようになったFBIの犯罪者プロファイルング、そしてビッグ・データをデータマイニングすることで犯人を次々に見つけ出す最先端の統計的手法や犯罪遺伝子の研究などを紹介しているのだが、それこそフィリップ・K・ディックを想起させる犯罪科学のSF的な進化に驚かされる。前半に比べて若干難しいかもしれないが、実はネタの宝庫で、これらの分野に関する他の本をたくさん読んでみたくなるだろう。
本書を読んで痛感するのは、防犯とは、街づくりとコミュニティ再生のためのデザインそのものであるということ。本書はそれを、犯罪予測という一点から深堀りしているゆえ、より具体的でわかりやすく、また非常に実用的な「ソーシャルデザイン」の本にもなっているのである。
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絶版だが「少数報告」が収録。スピルバーグによって映画化もされた。