株価の動きに注目していたのは、投資家たちだけではない。1980年10月、多くの科学者たちもまた、ジェネンテックという新興企業のIPO(新規株式公開)の行く末を見守っていた。IPO時点でこの創立4年目のベンチャーが販売していた製品数はゼロ。しかし、1つの製品すら持たないジェネンテックの株価は取引開始20分で35ドルから80ドルに急上昇した。このときジェネンテックが調達した3800万ドル以上という金額は、当時の株式市場の新記録である。
なぜ科学者までもが、実験室を離れ市場のニュースに注目したのか?
それは、ジェネンテックが「サイエンスそのものをビジネスにした会社」だったからだ。もちろん、ジェネンテック以前にもサイエンスをビジネスに活用した企業は数多い。半導体や通信、先端材料に関連した事業であれば、サイエンスの活用は決定的に重要だ。そもそもどんな業界であれ、サイエンスと無関係ということはないだろう。それでも、1970年代後半から次々と誕生したジェネンテックをはじめとするバイオテクノロジー企業は、それまでの企業とは異なっている。
ハーバード・ビジネススクール教授のゲイリー・ピサノは著書『サイエンス・ビジネスの挑戦』の中で、サイエンスを単に利用しているだけでなく、「サイエンスに基礎をおいている」ことが、バイオテクノロジー産業の特徴だと指摘する。
サイエンスに基礎をおく企業はサイエンスの創造と進歩のプロセスに積極的に参加し、しかもその企業の経済的価値のかなりの部分は、煎じ詰めればその会社の基礎となるサイエンスの質によって決まる
つまりバイオテクノロジー企業の活動とは、基礎科学の応用ではなく、基礎科学の探求なのである。しかも、その基礎科学における研究結果の成否がビジネスの成果に直結しているのだ。このような産業がどのように誕生し、発展していったのかを知るために、ジェネンテックほど最適な研究対象はない。本書の副題に『遺伝子工学の先駆者』とあるように、ジェネンテックこそがこの産業をつくったのであり、後に続く企業のひな型となったのだ。
歴史にもしもはないが、もしジェネンテックが誕生しなければと考えると、バイオテクノロジー産業の様相は全く異なったものとたっていたはずだ。もしかしたら、バイオテクノロジーが「産業」にはなっていなかったかもしれない。ジェネンテックが生物学者をラボからマーケットへ連れ出し、科学を加速した。ジェネンテックとの特許契約が、スタンフォードをより起業家精神に溢れる大学とした。ジェネンテックの成功が、多くの若者の起業家精神に火をつけた。今では世界最大のバイオテクノロジー企業となったアムジェンの共同創業者であるエドワード・ペンポートは、次のように語っている。
(ジェネンテックが)多くの新興企業のモデルとなったことは疑いようがありません
本書の著者はカリフォルニア大学バークレー校図書館に所属する科学史家である。本書はジェネンテック財団からも資金援助を受けているプログラムの成果であるので、当時の生の声を示す多くの資料やインタビューが引用されている。著者自ら「本書は、生物医学的な研究やビジネス、文化の新しいモデルを考案した企業の、独創性に満ちた最初の数年間を詳細にたどっている」というように、本書の範囲はいわゆるビジネス書のそれを超えるものとなっている。
新たな科学がどのように社会、産業を変え、その結果として科学自身をも変えたのか。そして、ジェネンテックの挑戦はどのように実行され、後の歴史の中でどのような意味を持っているのか。刺激的なベンチャー成長の物語と科学者たちの熾烈な競争、更には新に革新的な技術に対する政府・社会の困惑が折り重なって、1つの物語として進行していく。
本書のストーリーは、ジェネンテックが創業されるわずか3年前、1973年の画期的な発見から始まる。それは、後にノーベル生理学・医学賞を受賞するスタンリー・コーエンと、後にジェネンテックの共同創業者となるハーバート・ボイヤーの共同作業の賜物であった。彼らのプラスミドを使ったDNA組み換え実験が、遺伝子工学の歴史の幕を開けたのだ(本書では複雑な化学式を用いることなく、その概念を丁寧に説明している)。このボイヤーが、本書の主役の1人である。
もう1人の主役であり、ジェネンテックの共同創業者でもあるロバート・スワンソンは、この世紀の発見が行われた頃、シリコンバレーのシティバンクで銀行マンとして投資事業に精を出していた。翌年、スワンソンはベンチャー・キャピタルへと転身する。そして、ボイヤーとスワンソンが運命の出会いを果たしたのが1976年、ここからジェネンテックの歴史がはじまり、とんでもないスピードで成長していく。本書ではIPOまでの軌跡が臨場感たっぷるに描き出される。
市場で収益をおいかけるビジネスマンと学界で名声をおいかける科学者という、インセンティブの全く異なる両者をどのようにマネジメントするべきか。先端科学という極めて不確実性の高い分野で、どうすれば研究開発・事業継続の資本を入手し続けることができるのか。科学で儲けるとはどういうことか。先駆者となった企業の軌跡をたどることで、科学と事業と社会のつなぐ仕組みがみえてくる。
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『ジェネンテック』ではその創業からIPOまでが描かれているが、こちらではその後のバイオ産業の動向を分析している。副題に『バイオ産業の失敗の本質を検証する』とあるように、ジェネンテックに続いた多くのバイオベンチャーは失敗に終わった。あるべき企業戦略、ビジネスモデル、資金調達について考察される。
最近のバイオテクノロジー×IPOといえば、ユーグレナだ。ミドリムシで”世界を救う”べく立ち上げられたベンチャー企業のIPOまで奮闘を、創業者自らが描き出す。HONZのあの人も登場します。
半導体やトランジスタなど、現代社会を支える基礎的な技術を次々と生み出し続けたベル研究所。どのようにして彼らは多くのイノベーションを成し遂げたのか。成毛眞による解説はこちら。
そのサーバーがダウンすれば、全世界中のネットトラフィックが40%も減少するというほどにまで巨大化したGoogleの誕生秘話に迫る。こちらも起業の臨場感がひしひしと感じられる一冊が文庫化された。Amazonの商品説明によると、文庫版には成毛眞の解説がついている。
ジェネンテックは見事バイオテクノロジー産業の先駆者になれたが、そこには熾烈な競争があった。『ジェネンテック』と併せて読むと、当時の様子がより立体的に理解できる。こちらは、ビジネス視点よりもサイエンス視点で描かれた一冊である。山本尚殻のレビューはこちら。