『岐路に立つ精神医学』 明日はどうなる?

2013年9月4日 印刷向け表示
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岐路に立つ精神医学: 精神疾患解明へのロードマップ

作者:加藤 忠史
出版社:勁草書房
発売日:2013-06-25
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もう30年以上も前の話。医学生として、精神科の講義をうけていた。テーマは精神分裂病、いまでいう統合失調症である。先生の話す内容が支離滅裂でまったくわからない。いつもは階段教室の中腹に座るのを常にしていたのであるが、その日は最後列・出入り口近くのアホ捨て山(© 久坂部羊)に陣取っていた。

隣の席にいた年かさの同級生に、まったくわからん、と話しかけたら、物知り顔に教えてくれた。”仲野、あほかおまえは。まだ説明されてないけど、これは分裂病の患者さんなんや。最後に教授が出てきて、典型的な分裂病の患者さんはこういった話をします、っていうて終わるんや”と。

なるほど、それなら仕方あるまいと、おとなしく最後まで聞いていた。しかし、誰もやってこなかった。やっぱり講義だったのだ。難しすぎる、と、その日を限りに、精神科の勉強はあっさりあきらめた。そんなであるから、精神科の知識は素人に毛が生えた、それも私の髪の毛の量くらいのささやかな毛が生えた程度である。

そんな程度ではあるが、精神疾患は、その当時に比べると治りやすくなっているのではないかという印象を抱いている。実際、この四半世紀の間に、診断も治療も大きな進歩があったらしい。しかし、『そうした変化や成長は一段落し、解決できなかった課題やそこから派生した新たな問題』を抱えており、『それらの解決には新たなブレークスルーが強く求められている』のが現代である、というのが、この本の投げかける主題である。

精神疾患は他の多くの疾患と違って、単なる生物学的なモデルではなく、生物心理社会モデルが必要であり、広く受け入れられている。これは『精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と、心理的な問題、そして社会的な問題、この三つが渾然一体となって起きているものである』という、非常に包括的で、それだけに、正しすぎる考えである。これに基づいて、それぞれに、向精神薬、精神療法、リハビリテーション、といった治療がおこなわれ、ある程度の成果をおさめてきた。

研究者でもある著者の加藤医師は、この考えを正しいと認めつつも、精神疾患を真に理解し、その理解に基づいて治療をおこなうには、生物学的な因子をより深く解析する必要がある、という立場である。現在の、ある薬剤に効果があったかどうか、ということに基づくブラックボックス的な『エビデンス精神科医療』をおこなっている限りは大きな進歩がなく、脳科学を積極的に利用すべきだ、というのだ。

確かに時代である。分子生物学や生化学に基づいた神経精神薬理学は大きな進歩をとげているし、ゲノム解析も安価におこなえるようになってきている。また、脳の血流を調べて、ある作業をしているときにどの領域が活性化されているかをしらべるfMRIや、ある薬剤が脳のどの領域で作用するかをしらべるPETといったイメージング技術もずいぶんと発展している。

しかし、そのような革新的な研究の進展があっても、精神疾患を確実に理解し、治療に結びつけるにはまだまだ不十分である。たとえば、ゲノム解析では、一部の疾患をのぞいて、これといった精神疾患特異的な遺伝子の異常が見つかっていないし、これからも見つかる可能性は少ないだろう。新薬の開発についても、精神疾患を反映する適切な動物モデルがないことが大きなネックになっている。

そんな中、海外の大手製薬企業は向精神薬の開発から撤退することを表明しているという。新薬の臨床試験をおこなっても、プラセボ(偽薬)の効果が大きすぎて、コスト的に割があわなくなってしまっているというのだ。おそらくこれは、その新薬が対象としたい精神疾患ではない人が臨床試験に参加してしまっているからだと考えられる。そのようなことも、精神疾患を科学的に診断できれば避けることができるはずだ。

どのようなロードマップをとればいいかが示されており、これは、現代のバイオメディカルサイエンスから考えると、まっとうすぎるくらいまっとうなものである。まず、ゲノム解析などで精神疾患の発症に関与する可能性のある遺伝子をスクリーニングする。そして、それと同じ異常をもった動物モデルを作製し、病態を解明する。

つぎに、動物モデルからヒトにかえって、そのモデル動物と同じような変化が脳に認められるかどうかを解析する。それが確認できたら、またモデル動物にもどって、診断法や治療法を探る。そして、最終的に、そうして得られた診断法や治療法をヒトに適用していく、というものである。

まっとうではあるが、各段階において大きな困難が予想される。それは実験的な困難であり、また、倫理的な困難である。さらには、統合失調症のモデル動物というようなものがほんとうにできるのか、という根本的な問題もあるし、必要になる膨大な経費をどうするかという問題もある。

『精神医学が、これらの困難を乗り越え、精神疾患を解明し、本当の医学になっていくのか。あるいはこのまま中途半端な状態で終わってしまうのか。』と著者は問いかける。前者であれば、精神医学は、医学の他の領域と同じような分野となり、わたしのような医学生を生み出すこともなくなるだろう。しかし、残念ながら、正直なところ、その道のりはあくまでも遠いのではないかと思わざるをえないのである。

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精神を切る手術――脳に分け入る科学の歴史

作者:ぬで島 次郎
出版社:岩波書店
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ロボトミーを例にとって、精神疾患研究の倫理問題を考える好著。レビューはこちら

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