かつて梅棹忠夫は『文明の生態史観』の中で、世界を第一地域と第二地域に大別した。ユーラシアの中央部を占める専制的権力の発達した帝国が乱立した地域を第二地域、封建制を主体とした西ヨーロッパと日本を第一地域とし、その制度と文化の違いが近代の形成に大きな影響を与えたとする。繁栄と衰退とを巡る問題は梅棹忠夫に限らず多くの人々が答えを得ようと議論を重ねてきた。
貧富の格差の問題が取り上げられるとき、よく出てくる理論に地理説と文化説、そして無知説がある。地理説では最近、ジャレド・ダイアモンドが、『銃、鉄、病原菌』を著し話題になった。文化説はマックス・ウェーバーが説いた、プロテスタントの自立心こそが近代工業社会の発展に寄与したという理論まで遡る。無知説は発展途上国の為政者の経済政策の知識の欠如を指摘するもので、経済学者などに支持者が多い。しかし、本書のではこれらの説は否定される。
では、なにが貧富の差を決めるのか。本書のキーワードは包括と収奪、そして中央集権だ。豊かな国は包括的な政治と包括的な経済が存在し、貧しい国には収奪的な政治と収奪的な経済が存在する。包括的な政治、経済とは、多元的価値観、公平な富と権力の分配、財産権の保障、公平な市場などを指す。収奪的な政治、経済とは、専制的な政治、富や権力の集中、独占的な市場、財産権の不安定、などのシステムだ。
また中央集権化は多くの場合、専制制度に繋がる。だが、中央集権化がある程度進まなければ、国や社会による公正な市場も財産の保障も成り立たない。法の支配が及ばないことになる。アフリカの多くの国では、中央集権があまりにも弱すぎるために工業化を進めることも、法の支配をかすこともできない。
専制制の弱い地域では、包括的経済制度が生まれやすい。商人たちの競争が公平な市場を作り、多くの人に富へのチャンスが開かれている。そのインセンティブが競争と富をさらに促進する。そしてこの競争の中から、創造的破壊を内包したイノベーションが生まれ、その影響のにより新たな技術と制度が築かれる。こうして持続的な経済発展が可能になる。また、富を蓄えた人々は、自己の財産権など様々な権利の保障と、更なる自由を求めて政治への関心を強める。このような状況の中で旧体制を揺るがすような決定的な事件が発生し、混乱の中で多元化した価値観が政治制度にうまく組み込まれると、様々な人々の意見が反映されるようになり、一部のエリートが富と権力を独占することが難しくなる。
ただし、これは必ずしも累積的に進むプロセスではなく、歴史的流動性や制度、政治権力を誰が握るかによって変化する。すべての社会が上手くいくとは限らない。いったん包括的な社会が形成されたように見えても、収奪的な社会に戻ってしまうこともある。ただ、公平な富と権力の分配に成功すると、包括的な社会に向けた正のフィードバックが働く。政治と経済は常に強い相関関係にある。
収奪的な政治、経済では全く逆のパターンになる。一部の人々が富を支配する体制では、創造的破壊や富の公平な分配は、支配者層を政治的、経済的敗者へと追いやる。その恐怖が常に強い独占と支配を生む。その結果、収奪により集まった富は、それを奪い取ろうとする人々にインセンティブを与え、内紛、革命、クーデター、内戦をまねく。また重要なのは民主主義が必ずしも包括的制度を生み出さないことだ。ベネズエラやコロンビアなどは民主主義の国だが収奪的な政治、経済が敷かれている。
収奪的な制度の国家でも経済発展する。たとえば現代の中国などがその例だろう。本書ではソ連の例をとり上げ、収奪制度下での経済発展のメカニズムとその限界などについて詳しく書かれている。
少し古い物になるがTHE WALL STREET JOURNALの7月18日付の記事で「米国、世界のリーダーとしての地位を中国に明け渡しつつある」という調査記事が載っている。記事によると調査機関が39か国3万8000人を対象にした調査で、23か国で過半数、または大多数の人が超大国のトップとして中国が米国に置き換わりつつある、と答えたという。私の職場でもアジア系の人々の間ではこのような意見が多い。本書を読むと旧ソ連が経済発展を始めた50年代ころから70年代まで、このような意見が多かった事が言及されている。
一部のエリートが見事な政策と意志の力で経済をコントロールしているように見える収奪的制度だが、その華麗さに目を眩まされてはいけない。それは結局、多くの収奪的制度とそれを利用する一部の支配者層を利する行為だ。また豊かになると自然に民主的制度に移行するという、シーモア・マーティン・リプセットの唱えた「近代化理論」も著者たちは否定する。
中国が収奪的制度のもと豊かになったからといって、持続した発展をとげる可能性は低いし、自主的に包括的制度に移行するわけでもない。実はこれからの日本が真剣に考えないといけないのは、尖閣防衛という目先の事ではなく、経済成長が限界に達し、混迷する中国にどのようにアプローチするかという問題かもしれない。
比較的包括制度がとられながら収奪的社会に移行したローマ帝国やヴェネツィア共和国。王権がほかのヨーロッパ諸国より弱かったイギリス。中国よりも中央の力が弱かった日本。僅かな制度の差がどのように国々を分けていったのか。そして包括制度の形成と工業化に成功した富める国々が、植民地化を進めるために、支配地域で行った収奪的体制の構築や強化が生み出した負の連鎖。歴史の時々に現れる決定的な岐路。繁栄と衰退の原因を探し求めた歴史の旅は果てしなく続く。
僅かな制度の差が何を分け、何を変えたのかを考えたとき、国の制度とはどうあるべきか。選挙で選ぶリーダーとはどのような人なのか。深く考えさせられる。むろん、本書の主張が絶対に正しいとは限らない。しかし、知的好奇心を刺激する本書を読んだとき、何らかのヒントと思考とが、多くの読者にもたらされるはずだ。そしてそれは、私たちが本当に守り、育むべきものの力になる。そのようなほのかな希望を本書は与えてくれる。
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