歳をとったと思うことがある。その最たるものは、老後をいかにして暮らすかを考えるようになったことだ。理想は高峰秀子と熊谷守一。すばらしいエッセイをたくさん残している高峰さんであるが、80歳を前にして筆を折り、以後はできるだけ家から出ず、人とも会わず、若いころから集められたいろいろな名品に囲まれて、読書に暮らされたという。いいではないか。
百歳近くまで生きた画家、熊谷守一はもっと徹底している。晩年の30年近く(!)は、現在『熊谷守一美術館』になっている自宅からまったく外に出ず、虫や花を描き続けた。一日中、石や虫を見ていても飽きなかったという熊谷翁、文化勲章の内示をうけたが『これ以上人が来てくれては困る』という理由で辞退されたというのもうなずける。
こういった、家にこもりきるというつつましやかな将来像を語ると、みなが、おまえみたいな外出好きで旅好きがそんなことできるはずがない、とのたまう。ちがうのである。将来、外へでなくてもいいように、旅行などしなくてもいいように、今、たくさん出かけているのである。つくづく人間というのは理解されないものだ。
しかし、である。熊谷翁は好きな絵を描く、高峰さんは好きな品物に囲まれる、という状況にあった。私のような者とは才能や境遇が違うのである。小人閑居してなんとやら。老後、家にいたら退屈してろくでもないことをする自信がある。それくらいのことがわかる分別は持っている。
はてどうするか、ということがずっと気になっていた。そこへ伊藤礼先生によるこの本があらわれた。家庭農場!おぉ、これがあったか、と膝を打った。思わず先生と呼んでしまったが、面識がある訳ではない。内田樹先生(こちらは面識のある先生)の『先生はえらい』にあるように、ある人のことを先生と思えば先生なのである。
伊藤礼先生は、以前にも、悩んでいるときにお教え導きくださったことがあるのだ。それは、中高年サイクリストにとっての、たぶんバイブル『こぐこぐ自転車』を通じてであった。ホームセンターで買った『10万円貯まる貯金箱』がいっぱいになった時、その使い道の第一候補はスポーツサイクルであった。しかし、10万近くもする自転車を買うかどうか、決めあぐねていた。
私は学者にありがちな文献派であるから、多くの文献を渉猟した。ほとんどの本は『いかにサイクリングは素晴らしいか』的な発想でグングン攻めてくる。私は学者にありがちな懐疑的人間でもあるから、みなが口をそろえると、逆にうそくささを感じてしまう。しかし、自転車をめぐるエッセイ集『こぐこぐ自転車』は違った。飄々たる自転車ライフが淡々と綴られていて、おぉ、うらやましい、と素直に思った。
50過ぎのころであったから、もう歳やし、自転車通勤もしんどいかなぁ、というのが購入を逡巡する一つの理由であった。しかし、伊藤礼先生、なんと68歳で自転車ライフをおはじめになり、片道10キロ以上を走る自転車ツーキニストになられたのである。それを知ったことが私の自転車ライフへの道、というほどのたいそうなものではないが、を決定づけた。
『耕せど耕せど』で、ひさしぶりに出会った先生は、まったくご健在であった。先生は、知らない間に、農場、それも、東・中・西農場と三つもの運営を始めておられた。というと、豪農のように思われるかもしれないが、写真を見ていただきたい。ぼんやり見ると、どこが農場であるかがようわからんのであるが、これこそが、偉大なる『家庭農場文学』の舞台なのである。(月刊『望星』提供)
いうまでもなく農事についての記録文学だ。これだけの農場に、おどろくほど多種類の野菜を植え、眺め、収穫し、食べる。伊藤礼先生は、『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳で知られる伊藤整を父に持つ、親子二代にわたる由緒正しき文学者であらせられるが、その農場運営はあくまで科学的。あたかも実験をおこなうかのように、記録し、考察し、改善していかれる。
この本をつらぬく基本精神のような作物がある。それはクワイ(慈姑)である。クワイがおせち料理にしか出てこないこと、それも人数分しかはいっていないことに怒りを覚え、先生は自ら栽培に乗り出された。写真にある青いバットこそが、そのクワイ栽培システムなのである。
“わたくしはそれ以外のことで神様を認めたりはしないが、クワイを与えてくれたことでは神様を認めることにやぶさかではない。”
“ひとつだけはっきりしたことがある。クワイとはなんと美しいものであろうか、ということである。姿と色。どちらも夢の世界からこの俗世に現れた天女そのものである。”
先生はおそらく世界でたった一人のクワイフェチだ。
伊藤礼先生のエッセイのたぐいまれなところは、本筋を語るというような低レベルなところにはない。自転車でぶらぶらするがごとく、あっちへふらふら、こっちへふらふら、絶妙の寄り道感覚がたまらない。そして、なんで、このテーマでそんなお話になってしまうんですかっ、と言いたくなるようなことが、教えてくれと言った覚えもないのに、十二分な説得力をもって語られていく。さすが、私淑しようと決めた『先生』だけのことはある。
寄り道のチャンピオンはなんといっても、シビンの使い方についてである。どうすれば寝たままでシビンにうまく『珍凹』をみちびいて排尿できるか、が詳細に描かれている。珍凹、は、たぶん「ちんぽこ」と読むのであって、形からいうと珍凸のような気がするのであるが、それはまぁいい。さらには、ガラス製のシビンにこびりついた滓の落とし方までわかってしまって、ついシビンを買いに行きたくなってしまうのである。
伊藤先生の教えに従い、自転車に次いで、我が家の裏庭で農場運営を始めようと思う。ちいさなことにも大きく感動できるみずみずしい心。ふとしたことから物事を深く考えこんでいく知性。そして、熟考するにもかかわらず、時には、あれれ大丈夫ですか、と言いたくなるような衝動的ともいえる実行力。こんなすてきな老人にわたしもなりたい。もちろん、いずれ、ガラス製シビンも買わねばなるまい。
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天才子役・高峰秀子がいかにして成長したか。どれだけ魅力的な人だったのだろう。
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高峰秀子の自伝や熊谷守一の自伝は、自伝界の最高峰といっても過言ではない。
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伊藤礼先生、渾身の自転車エッセイ集。これを読めば、あなたもきっといい自転車が欲しくなる。
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