歴史を読んでいると、どのような国家であれ、その国の形・大本を設計したグランド・デザイナーがいたことに気付かされる。中国では始皇帝、ペルシャ・ギリシア(ローマ)はダレイオス1世。そして、日本(倭国ではない)は、紛うことなく、讃良大王(「さららのおおきみ」、後の人は持統天皇と呼ぶ)であり、彼女を助けた藤原不比等であろう。この時代に、日本という国号、天皇(すめらみこと)という君主号が確立されたのだ。
この時代は、作家の好奇心をいたく刺激するようで、讃良大王を主人公にした小説も、不比等を主人公とした小説も、優に数重冊を越えるであろう(恐らく、そのほとんどを読んでいると思うが)。まさに、ロマン薫る時代なのだ。
本書はその中で、恐らく最も新しい作品である。本当の主人公は讃良であるが、本書では、田舎から上洛した阿古志連廣手という若い官吏を主人公に仮託して、日本という新しい国が、白村江の敗戦の混乱の中から生まれ出る苦悩に満ちたプロセスを描いている。白村江を太平洋戦争に、唐をアメリカに、大宝律令を日本国憲法になぞらえて読むこともできるだろう。
忍裳といううら若い男装の女官が副主人公に仮託され、この若い2人が、狂言まわしの役割を担っている。作者はまだ30代。この若さが2人の若者に恐らく投影されているのだろう。不比等の影は薄いが、その代わりに壬申の大乱で敗れた大友王子の長子、葛野王の役割が相対的に大きく描かれている。また、五瀬という薬師三尊を完成させた魅力的な鍛師も、ストーリーの展開に彩を添える。その他、柿本人麻呂や山上憶良も出てくる。
ところで、誰しも思う疑問は、何故、讃良はあれほどまでに気丈でいられたのだろうか。これまでの小説では、様々な解釈が行われてきた。名族蘇我の血に対する誇り、子孫(草壁王子、珂瑠王子)への愛着、父や夫(葛城大王=天智天皇、大海人大王=天武天皇)が始めた事業(律令国家の確立)を完成させたいという意欲(本書はこの立場を採っている)等々である。
僕は、どれも表面的で、根本が違うのではないかと思っている。同時代の宿敵唐は、高宗の皇后、英傑、武則天が、ほぼすべてを取り仕切っていた。要するに、ごく身近に格好のロールモデルがあったのだ。英邁な讃良が武則天を見習わなかったはずがないと考える。ちなみに、高宗を天皇、自らを(皇帝と対等の)天后と称したのも武則天であった。
いずれにせよ、この時代を描いた小説はどれをとっても面白い。これからも讃良と不比等については、数多くの書物が書かれるであろう。
出口 治明
ライフネット生命保険 代表取締役会会長兼CEO。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。