サイコパスと呼ばれる特異な人格を形成した人々が存在する。これらの特異な人格を持つ人々が、いつ私たち人類のジーン・プールに紛れ込んだのかはよくわからない。しかし、その存在は古くから知られていた。たとえば、北欧の歴史や神話に登場するベルセルクたち。彼らは軍神オーディーンの神通力で恐怖を克服し、猛り狂いながら敵を殺す。彼らを擁する共同体にとって、それは守護天使であり、敵にとっては死神の化身だ。だが、現実は違う。ベルセルク達は時に自らの共同体の人間にも牙をむける。良心の呵責を感じず、他者に対する冷酷な性格は、ベルセルクと共に生きる人々にとっては両刃の剣だ。王たちは、どんなに彼らが勇敢で武技に長けていても護衛兵にすることは決してなかったという。彼らは狂戦士という名のプレデターなのだ。
捕食者としての彼らの能力には驚くべきものがある。ファブリッツォ・ロッシという悪名高い連続殺人犯がインタビューで、いい被害者は歩き方でわかる、と説明していた。その言葉を裏付ける実験をカナダの大学が行った結果、サイコパス度の高い学生は歩く人を見ただけで、犯罪被害の経験を持つ人をかぎ分けたのだ。プレデターが人混みに紛れ、社会の片隅でこちらのことをジッと観察していると思うとあまりいい気はしない。
サイコパスの特徴は、口が上手い。病的な嘘。良心の呵責を感じない。過大な自己評価。恐怖心の欠落。冷淡で衝動的。刺激を求めながらすぐに飽きてしまう。暴走しやすく無責任といったかなりネガティブな印象を受ける特徴が目白押しだ。
だが、逆に考えると、自信に満ち、巧みな会話で人々をひきつけ、勇敢でプレッシャーの中でも冷静でいられる人々だ。深く付き合い問題行動が目につくまでは、とても魅力的に見えるはずだ。著者もサイコパスの多くにインタビューを行い、その都度、彼らの魅力に引き込まれる。たとえ彼らが私たちに喰らいつくプレデターだとしても、その魅力には逆らえないのだ。捕食者は幾重にも罠を張る。厄介な話だ。
サイコパシーの中には社会的に飛びぬけて成功している人たちがいる。特に企業のCEOや弁護士、外科医といった職業で成功しているようだ。リスクを恐れず、果敢に行動し、時にマキャヴェリズムの実践者として、功利のために他者に非情になれるサイコパシーが、感情に流されやすい普通の人々より成功を収めることは必然かもしれない。
サイコパシーには成功を掴むものと犯罪者に落ちていくものがいる。サイコパスと一口にいってもその在り方は様々で、サイコパスもアスペルガーと同じくスペクトラムの可能性がある。否定する研究者もいるようだが、著者はサイコパススペクトラムに肯定的なようだ。人間の人格の一類型と見られがちな彼らも、当然ながら個々人によって大きな違いがある。人格というものはある種、人間の内に広がる無限の宇宙といってよいのかもしれない。
危険に際し恐怖を感じず、冷静でいられるサイコパス。彼らが危機的な状況に陥ったとき身体的に、なにが起きているのだろう。そこで登場するのが著者の友人のサイコパシー。アンディ・マクナブだ。彼は英、特殊部隊、SASの元隊員だ。実は私が以前にレビューした『世界の特殊部隊作戦史』にも登場しており、資料として彼の著作『ブラボー・ツー・ゼロ』も読んでいる。まさか科学の本で巡り合うとは。なんだか、思いがけない場所で旧知の人物にあった感じだ。これも読書の醍醐味だろう。
著者とアンディは自らの体を使って実験をする。二人には心拍数モニターと脳波計、皮膚電気反応計をつけ、暴力的な映像や不快な映像を見せる。かなり生々しい映像だったようで、映像を見た著者はすべての計測器が激しく動き乱れた。それに対しアンディは、心拍数が減少し脳波も弱まる。実験が終わるころには全ての計測値が安静時よりも低下していた。アンディの脳と体は、恐怖や危険に対したとき、感情を排する行動にでたのだ。
さらに、サイコパスを知りたいという思いから、著者自らがTMSという方法で人工的にサイコパスになるという実験を行う。サイコパス化した著者が見た世界とはどのような世界か。それは、是非本書を読んで確かめてもらいたい。
現代はテクノロジーの発展とそれに伴うグローバル化という環境のもと、激しい競争と共に、驚くほどのテンポで物事が動く社会だ。リスクを恐れず、恐怖や不安を克服し戦い続ける人々だけが多くの果実を手にできる。また、中世のように宗教の説く美徳の下で、異端とされる人々が排除される偏狭な社会も過去のものとなった。それらの状況が、サイコパスにチャンスを与え、現代社会の重要なプレイヤーとして彼らの存在を大きくしているのではないか。そして彼らが現代社会のルールを動かすことにより、よりサイコパスに適した社会が生まれつつあるのではないかとさえ思えてくる。もしそうだとするとサイコパスが作り出す社会とはどのようなものなのか。どこへ向かう社会なのか。非サイコパスの我々にも無視できない事ではないか。
また、サイコパスが人類のジーン・プールで優位にたち、繁栄する状況は生まれるのだろうか。それとも本書で紹介されたゲーム理論のように、彼らの数が一定以上になると、過度の競争が生まれ、結局は振り子が大きく振り戻されることになるのだろうか。あるいはサイコパス自体が、常に変化し続ける進化の秒針の中で、社会生活に不利な遺伝要因を変化させていくのか。私たちはサイコパスと無関係でいられない存在だ。なぜなら、彼らもまた人類の進化が生み出したひとつの答えなのだから。
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サイコパスはアスペルガーのように連続体なのか?その答えはまだ出ていないようだ。成毛眞による本書のレビューはこちら