ブーメラン返らず蝶となりにけり
この本は俳句集であり、いじめを受けている子どもを持つ家族の手記である。まさしく文芸書だ。HONZが得意とするノンフィクションではない。しかし、この本がより多くの人に読まれるよう、僅かばかりでも役に立たなければ、書評を書くものとしての矜持が保てないのだ。すこしだけお付き合い願いたい。いや、無理やりにでももう少しだけ読んでもらいたいのだ。
著者の凛くんはこの6月で12歳になる小学生である。生まれたときの体重は944グラム。超低出生体重児だった。水頭症の疑いもあり、年に1度はMRI検査を受けなければならないばかりか、頭部への打撲には注意しなければならない状態である。何度も入退院を繰り返しながらも、幼稚園時代には字を覚えて、物語、科学小説を読むようになった。テレビや絵本で俳句に出会った。親が気づけば5・7・5の17文字を指を折って数えていたという。しかし、小学校に進むと事態は一転する。小さくて力が弱く視知覚にも問題のある凛くんをいじめる同級生がでてきたのだ。
「凛ちゃん、いじめられて毎日泣いている、見てられへん」
女の子がある日教えにきてくれた。入学してたった1週間で後ろから突き飛ばされて顔面を強打したのだ。凛くんにとっては致命的になりかねない暴行である。その後も、腎臓部に青あざを作るほどの激しい暴行は続くのだが、担任も教頭も見て見ぬふりどころか、共犯者としか思われない態度をとる。なんと担任は無実の子どもを犯人を仕立てあげ、凛くん親子に謝らせるというでっちあげまで行うのだ。一旦収まったかにみえたいじめが再発する。もはや、自らの命を守るためにも不登校になるしかなかった。
凛くんのお母さんとお祖母さんそれぞれの手記が痛ましい。毎日、凛くんを学校に送り出してから、自宅に帰ってくるまで、不安と心配でいたたまれなかったであろう。凛くんの心身の痛みと、お母さんお祖母さんの気持ちを想像するだけで胸が締め付けられる。しかし、その凛くんは文才という力が授かっていた。この本の冒頭、凛くんの文章を全文を引用しよう。
この日本には、いじめられている人がたくさんいる。
僕もその中の1人だ。いじめは一年生から始まった。
からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、ク
ズ!」とののしられた。それが小五まで続いた。僕は
生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの
半分もなかったんだよ。一キロもなかったんだよ」、とお
母さんは思い出すように言う。
だから、いじめっ子の絶好の標的となった。危険な
いじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そん
な時、毎日にように野山に出て、俳句を作った、
「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」
これは、僕が八歳の時の句だ。
「紅葉で神が染めたる天地かな」
この句は、僕のお気に入りだ。
僕は、学校に行きたいけど行けない状況の中で、
家にいて安らぎの時間を過ごす間に、たくさんの俳
句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だった。不
登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざ
けた時期にできた句は、三百句を超えている。
今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。
素晴らしいリズム感である。驚くべきことに担任も学校も凛くんのこの才能に気づくことはなかったという。それどころか「俳句じゃ食べていけませんので」と嘲ったというのだ。一篇の書評をもって教育制度や、ましては凛くんの学校を糾弾するつもりは毛頭ない。しかし、才能を発掘することも教師にとって重大な仕事であり、それこそが教師の醍醐味であるということは強調しておいてもよいだろう。いじめっ子に対して他人を気遣うということを教えることも教師にとっての誇りではないのか。ともあれ、凛くんは俳句を本格的に学び始めたのだ。季語や切れ字などについても体得しながら、絵と一緒に俳句を作り始めた。
ある夜のこと、お祖母さんは横にいる凛くんが、いじめられてもめったに言葉に出さずに、小さな胸で耐えていると思うと不憫で、つい聞いてしまったのだという。
「凛、生まれてきて幸せ?」
凛くんは
「変なこと聞くなあ、お母さんにも同じこときかれたよ」と答え、沈黙の後、一句。
生まれしを幸せと聞かれ春の宵
簡単に子どもに対して天才という称号を与えるのはいかがなことかと思う。大人からの過大な賛辞や期待は子どもの成長にとっていかなる負荷になるものかとも思う。しかし、少なくとも自分には今もってこのような才能を見いだせない。
いじめ受け土手の蒲公英(たんぽぽ)一人つむ
あの朝日俳壇でなんども入選していているのだという。著者には失礼ながらまだ12歳なのである。いささかの嫉妬をするほどだ。凛くんの素晴らしい笑顔の写真と俳句と絵。いっぽうで、この本を読みながら、凛くんのような才能に恵まれない、いまでもいじめを受けている子どもたちについても思いがおよぶ。何とかしてあげなければならない。いったいどうしたらいいんだろう。
生まれてはじめて12歳という孫のような年齢の人から力をもらった。これからもしっかり生きていこうと思う。この書評がまさに子どもの作文のような締めくくりであることが恥ずかしい。しかし、それこそがこの本の魅力なのである。逆境にありながらも、無垢に明日は今日より楽しいはずだと生きていたころの気持ちに戻してくれる本などめったにないのだ。本書をおすすめする所以である。
掲載されている俳句は120句ほど。「春」「夏」「秋」「冬」「冬から春」「学校・友達・命」の6つのパートに分かれている。
春嵐賢治のコートなびかせて
ー嵐のような日、コートのえりを立てて歩いていると、宮沢賢治のコート姿の写真を思い出しました(10歳)
亡き祖父の箸並べけり釣忍
ー夕食のお手伝いをしている時、つい、祖父の箸も出して並べてしまいました。外では釣忍の風鈴が鳴ってました(11歳)
乳歯抜けすうすう抜ける秋の風
ー乳歯が抜けました。息をすると、そこだけ風が通り抜けるようです(9歳)
寒空にアンモナイトを掘る僕だ
ー野原に小さく割れた崖があります。僕は発掘道具を持ってよくそこに行きます。水中メガネをかけて、コンコンと土を掘ります。考古学者の気分になります(10歳)
凛くんのお母さんは、いつか凛くんが教育現場で尊敬する「師」と出会ってくる日を願っている。大人になって凛くんが懐かしく思い出せるような「学び舎」を得て欲しいともいう。しかし、凛くんが俳句の世界を我が家にもたらしてくれたおかげで「張り切って不登校」と心からいえるようになったともいうのだ。凛くん一家のお幸せを切望する。
いじめられ行きたし行けぬ春の雨