今野浩『工学部ヒラノ教授』(新潮社)
工学部ヒラノ教授 (2011/01) 今野 浩 |
ヒラノ教授、本名は今野博。金融工学の専門家である。
ヒラノ教授は「平教授」と書く。平社員ならぬ平教授になった著者は、筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)に影響され、工学部の実態を人に知らしめんがために立ち上がった。権力闘争や誹謗中傷、セクハラ、アカハラオンパレードの新設文系大学と工学部は一味も二味も違うと鼻息荒く書き出したのだ。
著者は東大工学部を卒業後、スタンフォード大学大学院に学び、筑波大助教授、東工大教授を経て、現在中央大学教授、という経歴を持つ。華々しいと普通の人は思うだろう。
しかしそれには弛まぬ努力と運と勘に恵まれた結果だ。
実験を主にした学問は誠に忙しい。とくにエンジニアが相手にするのは先端技術だ。5年もしたら時代遅れ。
だから大学院を卒業し助手(現在では助教)になると全力疾走である。一人前になるまで2~3年、一流になるまでにまた2~3年。10年の間に50本の論文を発表しなければ、最前線には出られない。
鉱脈にあたればいいが、掘っても掘ってもクズ石ばかりだと徒に月日だけが経ってしまう。
無慈悲に年齢は上がり、研究に対する情熱は冷めていく。いや、本人はやる気バリバリでも明らかに生産性が落ちる。やがて停年。著者は今、71歳。二度目の停年間近となり、本書を起こす時間が取れたと喜んでいる。
この本は「大学教員今野浩」の遥かなる一代記である。それはまるで出世スゴロクを地で行くような、見ようによっては工学部版『女工哀史』のような物語である。
大学は文系と理科系に大きく分かれるが、実はそれぞれの内部でも学部によって色合いが違う。著者が長年勤めた東工大が、日本の理科系大学トップなのは明らかだが、理学部と工学部では軋轢がありそうだ。なぜかはわからないが、どうも数学科とは相性がよくないようで、何かにつけて目の敵にしている。
その衝突の原因が文部省の改革だ。「大学院重点化」つまり教育中心だった大学を研究中心に変えようという試みで、これによって学部生は省みられなくなった。一般教育、基礎知識は学生の独学まかせ。一時期いわれた「分数のできない大学生」大発生はここにあると思われる。教授たちは右往左往する。
そのうえ落第させることもできない仕組みになったので、単位を取るハードルを下げざるを得ない。要するにバカでも単位が取れてしまう。そんな大学生を社会が欲しがるはずがない。このシステムを知れば、大学生の就職難は当然のことだと思う。
研究と雑務に明け暮れ、給料も安く、身体を酷使する工学部平教授だが、それでも「こんなに素敵な商売はない」と胸を張る。スゴロクも上がり近くになり、確かに今野先生は楽しかっただろうな、と羨ましい。歩いてきた道には死屍累々と屍が横たわっていようと、頂上に上り詰めたものが勝ちなのだ。