珍しい、面白い、役に立たない。三拍子揃った珠玉の一冊である。本屋で見つけて中身を数ページめくった後、思わずガッツポーズが出た。
DQNネーム、キラキラネームなど、ネーミングにまつわる問題が深刻化して久しい。その流れを受けたわけでもないのだろうが、アカデミックの世界でもネーミング周りが大変な状況になっているようだ。
本書で取り扱っているのは遺伝子の領域。地道な研究が実を結び、未知の遺伝子や変異体などを発見した研究者は、自分自身で名前を付けることが出来る。その遺伝子が体内で何をしているのか、人類にとってどのように役立つのか、そんな深い思いを込めてネーミングは付けられているが通常だ。
ただ中には、そのネーミングに小ネタを仕込んでくる研究者もいるのだという。そんな偉業の中に潜む遊び心を、いくつか紹介してみたい。
ショウジョウバエの生殖に関する研究のさなか、ある変異体が見つかった。その変異体は、メスに求愛されても全く無関心なオスであったのだ。どんなに魅力的なメスの誘惑にも反応しない、まさに孤高の男。悟りを開いた僧侶をイメージさせることから、その変異体はsatori(悟り)と命名されることになる。
ところが、悟りを開いたかに見えたこのハエは予想外の行動をとる。satori変異体のオスだけを集めた虫かごの中を覗くと、なんとオスがオスを追いかけていたのだ。この変異体、別に悟りを開いたわけで何でもなく、ただの同性愛者であったという…
一方、暴走族にちなんで名付けられた変異体も存在する。あるゼブラフィッシュの研究者が、稚魚の時に背中の構造をうまく作れない突然変異体を見つけた。これらは、まっすぐに泳ぐことが出来ないという特徴を持つ。
後日その研究者は、学会のため日本を訪問することになる。ホテルの部屋でまったり過ごそうと思ったその時、窓の外でバイクの集団が轟音を上げながら蛇行運転をしていることに気が付いた。その強いインパクトに衝撃を受けた研究者は、ホテルマンに「暴走族」という言葉を教えてもらい、さっそく変異体の名前にすることを決めたのだ。ただし英語で発音しにくかったせいか、bozozokと表記されてしまったのは、ご愛嬌というところか。
さらに、日本が誇る世界のスーパーキャラクターも、遺伝子の世界に名を轟かせている。細胞のガン化に関わるもので、その名もポケモン遺伝子。全世界が衝撃を受け、特に日本におけるインパクトは絶大なものであったという。正式名称は「POK Erythroid Myeloid ONtogenic factor」で、その頭文字を取ったものらしい。
だが、このネーミング。意外なところからクレームがやってきた。ポケモンのグッズ販売をしている株式会社ポケモンのアメリカ法人・ポケモンUSAである。その内容は、ポケモンがガンを引き起こすというのがイメージダウンになるから改名して欲しいということ。結局Pokemon遺伝子は、もともとナンバリングとして与えられていたZbtb7という名前に変更されてしまったのだ。
本書ではこの他にも、武蔵(musashi)、侠気・緋牡丹(otokogi・hibotan)、サンデードライバー(sunday driver)、脳だらけ(nou-darake)、暑がり(atsugari)、筋斗雲(kintoun)、不眠(fumin)、時計じかけのオレンジ(cloackwork orange)、守護神(shugoshin)、盆栽(bonsai)など、数々のネーミングとその由来が紹介されている。文体も柔らかく、まさに脱力系のサイエンス本だ。
名は体を表すとはよく言ったものである。結果的に正反対の意味になってしまったものもあるが、それはそれで魅力の一つという印象も受ける。普段は想像もしたことのない遺伝子たちの豊かな表情を、ご堪能あれ!