09年の東京都議会議員選挙を控え、私はそわそわしていた。テレビで私の苗字が連呼されていたからだ。「くりした氏」、「くりした氏」と。テレビを注意して聞くと、「くりした ぜんこう」という26歳の若者らしい。くりしたという苗字はありそうだが、実は少ない。自意識過剰なのかも知れないが、何とも落ち着かない。くりした氏の連呼がピークになったのは選挙の翌日以降だ。自民党盤石と言われた1人区の千代田区で、現職の都連幹事長を破ってしまったものだから。「くりした」氏は民主党旋風の象徴となっていた。会社に行くと、「あれは親戚ですか」と尋ねられ、実家からの電話で父親に「あんな親戚いたか」と不思議がられ、困惑した。それは、こっちのせりふだと。残念ながらくりしたぜんこう氏と私に面識はないが、本書を読んで確信した。間違いなくつながっていると。
本書は著者のルーツ探しがテーマだ。自分がどこから来たかというのは非常に身近な問題だが、あまりにも大きな問題であり、なかなか正面から考えない。本書では資料だけでなく、筆者の高橋秀実氏自らの足で全国を巡っている。ひたむきながらも若干ゆるーい姿勢に感化されて、自らのルーツについても少し考えてみようかなと思えてくる。まず、ルーツ探しで基本となるのは戸籍だ。これをたどればある程度、わかってくる。著者の場合、戸籍をベースに曾祖父までは辿るが、そこで壁にぶつかる。その先を辿る手がかりとなるのが苗字だ。実際、苗字でルーツを探れるケースは少なくない。日本で佐藤に次いで2番目に多い名字である「鈴木」は和歌山県の海南市にある「鈴木屋敷」に発祥を求められるという。鈴木姓の、人の中には広く知れ渡った話だという。ただ、著者の「高橋」姓は、困難をきわめる。佐藤、鈴木に次いで多い苗字である高橋だが、出自は意外に謎に包まれている。資料を参考にしても、「高橋」という地名が多いやら、地味に増えていった説など釈然としない。
苗字と並び出自をひもとくヒントとなるのが家紋だ。高橋のルーツが釈然としないからか、著者は母型の祖先を辿り、家紋を調べると桓武平氏につながっている可能性が出てくる。だが、関係者に話を聞いていると、清和源氏の可能性も出てくる。平氏と源氏では、かなり違う気がする。いや、確実に違う。天皇につながっていることは同じだが。著者は悩みながらも、結論づける。「どっちでもいいではないか」と。そもそも、家紋はみんな勝手に有名な家紋を真似てつくったりしているので、適当だという。
この適当さこそルーツを探るのに必要な素質なのかもしれない。
例えば、鈴木姓の一部は結束が強く、「全国鈴木サミット」を開催しているが、持ち合う家系図に矛盾が生じることも少なくないという。皆、自分の家系の見栄をはりたいからか、勝手に改ざんするのも日常茶飯事なため、どこかで破たんが生じる。だが、彼らは気にしない。「矛盾がなくならいように、つなげてしまえばいいのだ」と。
本書を読み、私自身も出自について考えてみた。曾祖父が鹿児島の地主だったらしいが、その先は全く知らなかった。家紋を調べてみると、丸に梅鉢らしい。インターネットで調べてみると、清和源氏につながっていた。おいおいおい、本当かよと思うが、そう思ってみると、何となくそんな気がしてきた。本書の著者は最後に清和天皇陵にお参りに行っているが、私もやはりご先祖様に挨拶に行くべきかな。